2012年2月25日土曜日

おもてなしクッキング

先日、保育所で「おもてなしクッキング」というものがありました。保育所では3〜5歳児までが年間を通してクッキングを行っています。
そのクッキングでは子ども一人ひとりの発達や興味に応じた活動になるように選択を取り入れたりと様々な工夫をしています。
その集大成として年長さんが毎年、この時期に昼食作りを自分たちで行い、他の子たちにふるまうという「おもてなしクッキング」という活動があります。

かなり簡単に説明してしまいましたが、その「おもてなしクッキング」の様子を年長の担任の先生に原稿にしてもらっていました。その内容がまさに子どもたちの思いが詰まった素敵な文章だったのでここで紹介させていただくことにします。

あっ、ちゃんとご本人にも許可はとってありますよ。




『おもてなしクッキングをしたよ!』~自発的活動から見えた子どもの姿~

 【生きる力をつけよう!
 今回のクッキングは毎月取り組んできたクッキングの集大成。“火を使うこと”“包丁を使うこと”が上手になった年長さんが、その力を十分に発揮してみんなをもてなします。


【どんなふうにしようかな?】
大人が「こうしなさい!」と言うのではなく、子ども達自身がどんなふうにもてなすかを考えます。
「レストランみたいにしたい!」「いいね。チケットもいるよね?」「おもちゃ付きのごはんなんてどう?」など、話す子ども達の目はキラキラ。それはきっと“やらされてる”のではなく、子ども達自らが“やろう”としていたからでしょう。


【みんなにないしょで!】
準備開始のその時「みんなにばれんようにしよう!」の声。窓に目隠しカーテンをして“秘密の準備”は実行されました。ただクッキングをするのではなく、“みんなをあっと驚かせたい”“もっともっと喜ばせたい”という子ども達の思いがとても伝わってきました。


【みんながよろこんでくれてうれしい!】
「みんな喜んでくれるかなぁ?」と、おにぎりとお味噌汁を作ります。そして、開店。一人ひとりの子がお客さんにはりきって昼食をふるまいます。最後、子ども達がみんなに言った言葉は「今日は来てくれてありがとう!」でした。

みんなが「おいしいよ!」と喜んで食べてくれたことが嬉しかったという思いだけでなく、自分達の思いを受け止めて喜んでくれたみんなへの“ありがとう”の気持ち、まさにおもてなしの心を感じた瞬間でした。
子ども達は自発的な活動の中から、こうして大切なことを学んでいくんだなと実感したおもてなしクッキングでした。


当日、子どもたちの姿は本当にイキイキしていました。みんなが誰かのために考え、誰かのために行動していました。場の雰囲気もとても良かったんです。年長さんの頑張りに対してを言葉はもちろんですが、みんなの空気が「ありがとう」と言っているようでした。大人も子どももここから楽しんで、感謝した会でした。

誰かのことを思いながら、考え、行動するってとても大切なことだと思います。それが集団で過ごしている意味でもあり、大切なことのひとつだと感じます。

素敵な会でした。みんな、ありがとう。


2012年2月20日月曜日

名越セミナー

大雪の中、松江で行われた精神科医 名越康文先生のセミナーに参加してきました。何冊か著書を読んだり、ラジオを聴いたり、テレビで見かけたりしていたので名越先生に実際にお会いできて少し感動しました。
直接、お話をした訳ではないんですが、名越先生が出す雰囲気をすごく感じました。これってやっぱり実際に会ってみないと分からないものだと思うんです。そして、その雰囲気がいいんですよね。人として魅力的だし、信用のできる人っていう雰囲気、匂いがでているんです。
それを感じれただけでも意味のある時間でした。


セミナーの内容も名越先生がかいつまんで話をしますと言われた通りに進んでいきましたが、それでもおもしろかった。ご自身で今までで一番、言いたい事が詰まっていますと話していた最新刊を読まずにはいられなくなる話の内容でした(早速、注文しました)。


前半はうつ病についてのお話でした。うつ病の人は常に妄想をしているということ。これ、自動思考とも言うらしいのですが、常にネガティブな妄想を膨らまし続けている、だから不登校の子も実は布団の中で登校しているんだということになるんです。

「あぁ〜今頃大嫌いな数学の授業か...」なんてな感じで布団の中でも妄想している。そうやってムダな事を考えてどんどんエネルギーを消費していっている。この感覚、なにもうつ病の人だけではなく、僕らにも当てはまりますよね。


この感情って怒りにも通じるんだそうです。「授業なんてなくなればいいのに、学校なんてなくなってしまえ」確かに、怒りの感情ですよね。他にも軽蔑なんかも怒りの一つだし、ちょっとした「イラッ」とか「ムッ!」という感情も同然怒りだと。

そうなると僕たちは毎日そんな怒りの感情を抱いて、どんどんエネルギーを消費していることになりますよね。

怒りというエネルギーはネガティブな感情しか生みませんよね。その怒りの感情を上手くコントロールする術も少し教えていただきました。

まだまだ、ここでは書ききれませんが、とてもおもしろ話の連続でした。これから届く本を読んだ時に今回のセミナーの時の話とどのようにリンクしていくのか楽しみです。

そしてセミナー後にはおいしいパン屋さんでお腹も満たしました。

2012年2月11日土曜日

くにびきマラソン

出雲で行われたくにびきマラソンに職場の上司、先輩とともに参加してきました。
僕以外の2人は制限時間である2時間をきる好タイムで見事完走されました。
僕は制限時間はクリア出来ずに「2時間26分54秒」という結果でした。15㎞地点まではいいペースだったのですが、そこから失速してしまい、ほとんど歩いてのゴールとなってしまいました。制限時間を超えると後ろから車がやってきて、時間を計測しているタグを回収されるんです。そして、沿道のスタッフさん達も足早に立ち去りだすんです。そんな中をゴールに向う景色は猛烈な寂しさをおびているんですよね。
しかし、後悔はしていません。自分なりに持てる力は出し切ったと思っています。とてもいい時間でした。数ヶ月前には想像もしていなかった舞台です。


それと職場の方達が応援に駆けつけてくれました。本当に嬉しかった。危うく涙腺が崩壊しそうになりました。僕がゴールするのが遅かったために出会えなかった人もいましたが、気持ちは受け取りました。ありがとうございました。

2012年2月9日木曜日

集団って

最初に言わせてください。今回は、いや今回も?裏付けのない、無責任な思いつきを綴っていこうと思いますので、ご了承ください。

この間、二人で散歩をしているおばあちゃん達を見て、「集団」というものについて考えました。
そのおばあちゃん達のやりとりを聞いた訳ではないのですが、少ない経験上、おばあちゃんが二人いると大抵は一人が気の強いぐいぐい人を引っぱるようなおばあちゃんで、もう一人はそのおばあちゃんの言うことを横で優しく頷きながら聞いているような優しそうなおばあちゃんじゃないのかなと思うんです。



これ、別におばあちゃんだけに当てはまることではないと思っています。その傾向の強弱はあるにしても、だいたい仲の良い二人組とかってこんな感じの関係だったりしませんか?
もちろん、全てではありませんが。



引き続いておばあちゃんを例えにだしますが、優しそうなおばあちゃんも違うおばあちゃんとペアになると立場が逆転することもあるんだろうと思います。
僕たちだって、全ての人に同じ対応をしているわけではありませんよね。会社での自分、恋人といる時の自分、家族といる時にの自分、友達といる時の自分って同じではないと思うんです。



それぞれの関係の中にあった自分に変化しているはずです。だからどんな人間で集団を作ったとしても、誰かが全体を引っぱっていくんだろうし、誰かが何も言わないような黙っている人にもなる(それがいけないという訳ではありませんよ)。

じゃ、黙って物静かな人ばかりを集めて集団を作るとその集団は何もしないただ、静かな集団になるのかといえば、そうではないんだと思います。その中でも、全体を引っぱっていく人がでてくるはずです(アリはこういう性質をもっているようです)。



つまり、何が言いたいのかというと、集団の中の役割を勝手に判断して、ものを見なくてもいいんじゃないのということです。

そこで集まった人同士で何とか解決するんじゃないのということです。

人間はそれができるから、ここまで生き残れてきたはずです。

2012年2月2日木曜日

ムシ2

今、読んでいる本の一つにひたすら大人が虫について語っている本があります。
その大人は養老さんだったり、池田清彦さんなどというおなじみの方々なのですが、この本、とってもおもしろいんです。もう、ぐいぐい読み進めています。

そんな本を読んでいるとやっぱり思い出してしまうんです。自分がひたすら虫ばかり捕まえていた頃を。
それは、それは狂うほど虫に夢中になっていました。大きな石を見つけるとその石を裏返して何かいないかと探していました。だいたいの目当てはハサミムシでしたね。あの細長い胴体にキリッとしたハサミが何とも言えないくらいかっこよかった。カタツムリやダンゴムシ、アリにカナブンもとにかくアホみたいに捕まえていました。

特にカマキリとてんとう虫は大好きで、カマキリなんかは草むらで草と同化していても簡単に見つけていました。もちろん、ものすごく草むらを凝視してはいましたが。本当にたくさん捕まえて、多くの時間、観察しました。


そんなことをしていると幼いながらにいろいろ分かってくるんですよね。この時期にはここにはあの虫はいないな〜とか。何かこの石の裏にいそうなきがするんだよな〜とか。いい草むらだなとか。いろいろなことが直感というか感覚というそういうもので分かるような気がするんです。


これって結構、大切なことなのかなと思います。直感って勘とかと似ているものだと思うんですが、この勘って案外ちゃんとしているものだと思うんです。

直感とか勘って今まで経験してきたことが集約されて最善の方法として出てくるものらしいんです。今までの経験の最高の形が直感だと。そうなるとその感覚を磨くためにはとにかくいろいろな経験をした方がいいんだと思います。
子どもの頃は特にそうかもしれません。自分で試して、考えて、動いたその結果をたくさん貯めておく。子どもってそんなことをたくさん繰り返しながら大人になっていくんだろうなと思ってみたのです。



よく分からないかもしれませんが、なんとなく伝わればいいです笑