2012年5月29日火曜日

コオイムシとタガメ

一年を通じて、天候や季節に関係なく子ども達と一日を自然や地域の中で過ごす「てくてくの日」という活動を昨年から始めています。
今日はそんなてくてくの日だったのですが、なんと水辺で素敵な生き物と出会いました。
しかもたくさん。
その名もコオイムシ!!(準絶滅危惧種に指定されています)
名前の通り、メスがオスの背中に卵を産み付けます。今日見たコオイムシの中にも背中にたくさん卵を背負ったオスがいました。ですが、結構な鳥肌ものなので写真をアップするのはやめておきます。興味のある方は「コオイムシ」で検索してみてください。すぐに見れますよ笑


このコオイムシによく似た昆虫に「タガメ(写真右)」というものがいます。
僕は小さい頃からこのタガメをどうしても捕まえたいという夢を持っていました。このタガメ、絶滅危惧種Ⅱ類にも指定されているほどなのでなかなか見つけられないんです。

何度も探しに出かけたのですが、見つからない。

そして、そのまま大人になっていたのですが、今日そのタガメによく似たコオイムシに出会ったことで何だか「タガメ」に出会ったような感覚になり、感動してしまったんです。本当に嬉しかった。



いつか出会えるといいな~タガメにも。

2012年5月25日金曜日

bekou

GWに神戸へ行ってきました。いろいろな所を巡ってきました。
異人館では館内よりも町並みに目が行ってしまいましたね〜坂があったり、路地があったり......なんだか建物がたくさんあって、道が迷路のようになっていて、その空間に自分がいるというのが心地良いんですよね〜素敵な場所でした。




























後はどうしても行きたかったAppleStore......梅田まで行っちゃいました.....

そして最終日には「神戸市立青少年科学館」へ。ここも行ってみたかったんです。子ども達に混じって大人二人も大興奮でいろいろ試したり、見たりできました。不思議なもので、科学といっても、それぞれに興味のある分野が違うというのはおもしろいなと思いました。


キュリー先生のお言葉もささりましたな〜



2012年5月13日日曜日

その子の世界を受けとめる余裕

日本赤ちゃん学会理事長、同志社大学赤ちゃん学研究センター教授の小西行郎先生のお話を聞くことができました。以前から著書も読んでいて、是非とも直接お話を聞きたかった方なのでとても良い時間を過ごすことができました。
前半は赤ちゃんの力についてのお話でした。心はいつできるのか、それは胎児の時期にはないのではないかというお話でした。僕も漠然と心とは意識だと感じていたので、その話はすっと自分の中に入ってきました。
その中でも「赤ちゃんというのは自ら動いて、触って、見て、聞いて、行動を変える。その輪の中で認知性や社会性を獲得する。赤ちゃんは自ら育つ力を持っているので、なにかおしえなきゃいけないとかと言って、その学習の邪魔をしないでほしい。てめぇでやってんだから、手だすな」というお話がありました。
本当にそうなんですよね。大人がこの学習の芽をたくさん摘んでしまっていることはよくあるんだと思います。「それは触ってはだめ」とか「そっちに行っちゃだめ」と言って、子どもが学習するのを止めている。そして、「これを勉強しなさい」、「こうした方がいい」ということが教育だと思ってどんどん教え込んでいくんですよね。他にも前半では心の芽生えの時期や胎児期の親はもっと楽にしていればいいというお話がありました。まだまだ咀嚼できませんが納得するお話でした。

後半は発達障害についてのお話でした。
「発達障害の子どもたちは同じ世界に住んでいると思っているから今の間違った指導があるんです。ところが住む世界が違うと思ったら今の指導は成り立たない。そこから入っていなかいとダメなんです。そして、その世界を受けとめてあげるしかない。本人はものすごいしんどいです」といったお話や
「多様性というわりには今の世の中は多様性を許さない。おっちょこちょいとかあまのじゃくとか慌てん坊という言葉がなくなった。発達障害という言葉が入ってきてレッテルをはりだした。こだわりも悪い言葉になっているが、日本の伝統芸能はこどわりだらけ。ずっと漆を塗ったりなんてこだわりがないとできない。以前はこだわりはいいことだと言われていたのに、今では悪いと言われる。保育士や教師や母親は子どもの気になることばかり探し出す。明らかに発達障害は増えすぎる、こんなにいるはずがない。もっと子どものいいところを見ていこうよ」がありました。
発達障害の子の関わり方もありますが、これはすべての子どもに関わることなんだと思います。どんな子にも個々にこだわりや興味、関心は違います。それをそれでいいんだと認めていくのが大人の関わり方のはずなのに、少しでも周りと違うと排除しようとする。発達障害の子をつくっているのはその子に関わる大人なんですよね。これを理解しないとどんどんそういう子が増えていきます。障害があろうがなかろうが、その子の考えていること、その子の世界を理解しようとしない大人の関わりは危険だし、罪深いのではないでしょうか。
今回のお話を聞いて、今自分たちが考えていることは間違いではないんだと思えることができました。しかし、もっと考えを深めないといけないことはありますし、その考えをどう直接の子どもとの関わりとしていくのかも考えて、実際によりよい方法を試していかなければなりません。


最後に先生に質問をしたのですが、自分もこだわりが強いというようなことも交えて質問させてもらいました。その返答の中で「あなたも僕も全然変わってないから。僕もこだわりは強いので、いいんちゃいますか。だからずっとこだわってください。それは問題じゃないよ」という言葉をかけていただきました。小西先生の懐に広さ、余裕を感じました。

2012年5月12日土曜日

全体を考える

「環境を知るとはどういうことか〜流域思考のすすめ/養老孟司 岸由二」という本を読みました。
河川事業のあり方やある地域の保全活動の様子を具体的にお話している本なのですが、最終的には教育の方にもつながっていき、とてもおもしろい本でした。ただ、読むのには少し時間がかかってしまいました。
その中で「今の防災設備には見通しがあるわけではなく、整備技術だけの問題になっている。50ミリの降雨対応だったらこのくらいの土手を作ればいいと計算して、終わりです。でも、そんな対応はお天道様や積乱雲には関係ない。林業も同じです。5年後、10年後の見通しが立った計画がなされてない。わずかな補助金を貰うための間伐のための間伐になっている」




これって教育や保育でも気をつけないといけないことだなと思いました。その場しのぎで子どもたちと関わっていくことは将来の子どものたちのことを考えていないということですよね。もっと、もっと長いスパンで子どもたちを見なければいけなし、その方が自然なのにどこか今はその感覚がないのかなと思うことがあります。今こう関わることで、将来はこうなってほしいんだという関わり方をもっとみんなが考えていけるといいのかなと思います。


そして、最後に養老先生は「自然とは解である」と話しています。
「子どもが自然を見ながら育つということは、その「解を」見ながら育つということです。知らず知らずに、自然の中の複雑な問題に関する答を絶えず、見ながら育つということです.....僕が一番、いい例としてあげるのが葉っぱです。一本の木に葉っぱがついている。思い思いの方向についているように見える。でも、きちんと見ていくと木によって葉のつきかたに規則があることが分かる。もっと追求すると太陽光を最大限受けられるような配列になっているはずだと気付く。さらに太陽が動いていることにも気付く。つまり、一本の木が全ての葉っぱを使って最大限の日照を受けようとした時に、葉の配列をどうするかという問題の解が、今見ている葉のつき方であることがわかる。これに最初から、方程式をたて、コンピュータをつかって問題を解こうとしたら、解けるかどうかわかりません。でも、植物を実際に見たらそこに解が出ているのです」


この文章を読んで、なんだか安心しました。でも、これは大人が子どもに伝えてはあまり意味がないことですよね。大人が「見て、見て!この木の葉っぱを見て、これはね〜」なんてことではなく、それを子ども自身が発見し、考え、自分の中の大発見になることが大切なんだと思います。
最近は自然について考えることが増えてきています。それは、とても自分にとって楽しいことです。

2012年5月10日木曜日

ぼんやりと

「いや、まてよ。こういう場合はどうしたらいいんだ。こうしたら〜いやいや、そうじゃない!なら、こうなら〜いや、それも違う!」
そんな自分の中の迷いがいろいろなことを「立ち止まらせます」
別に大したことじゃないんです。偉そうに言ってますが、そんな偉いことをしている訳ではありません。
でも、この迷い?葛藤?立ち止まり?は何をするにつれても結構ついてまわってきます。経験なんかを重ねて行くといろいろなことへの対応もさほど悩まずに、的確な行動ができるようになっていくのかもしれませんが、それを理由にしたくない。だから考えるんです。迷うんです。で、何もできないで終わっちゃう。

何度も言いますが、なにかデカいことをやろう!なんて思っているわけではありません。まだまだ何も分からない僕には日々こんなことだらけです。何がいいのか、どうするのがいいのか、これだ!と確信を持てる行動ができる訳ではありません。
でも、「みんながやっている」からとか「前からそうだから」なんて理由で対応したくはないんです。
そんな対応って案外、無意識に結構やっちゃうんですけどね。だって、その方が楽ですから。それでも、何かの拍子に「ん?なんか違うんじゃないのかな?」という思いが生じる。

その思いを抱えるから、立ち止まる。これ、自分の中の「思考」という部分だけではなくて「身体」もそんな感じになっちゃうんですよね。
ん〜つまり、動けなくなるんです。身体も実際に立ち止まってる。入ってきた情報を整理して行動として出す作業までにとんでもなく時間がかかる時があるんです。そんな時は実際に立ち止まっている。と思えば入ってきて、直ぐに出せる時もあるんですが、そんな時は大抵、その場面や思考を経験済みだったりします。って、これでは結局「経験」が全てじゃないか。と言っているようですが、そうでもない。そこへは逃げ込みたくないんです。


だから立ち止まるし、心の中がもの凄くモヤモヤして、「どうしたらいい?どうする?」となっちゃう。もちろん考えすぎないで「動く」ことの大切さも分かります。動いて失敗して、そこから学ぶということも大切だと思います。だからこそ、この両方をバランス良くやっていきたいなとも思ってます。

そろそろ、そんなことも意識してやっていかないと、いつまでも甘えてばかりになりそうで。