2013年9月25日水曜日

丁年人間の読書感想文②

今回の読書感想文は村上春樹さんの「TVピープル」という一冊です。
これは6つの短編小説が一冊にまとめられたものになります。
とにかく、どのお話も何が言いたいのかははっきりとは分かりませんでした。
でも、それがいいんじゃないかなと思える作品でした。
いくつか簡単に内容を説明します。



「TVピープル」というお話では、TVピープルという人間を縮小した
存在が日曜日の夕方、ある夫婦の家にやってきます。
そして、砂嵐だけを映すテレビを置いていきます。そのTVピープルは
少しずつ主人公の現実に侵入してきます。最後にはTVピープルから
奥さんはもう二度と帰ってこないということが告げられます。



「ゾンビ」というお話では、墓場を歩いていたカップルに
ゾンビが取り憑きます。という悪夢から覚めたと思ったら、
そこがまたも悪夢の世界だったという本当に短いお話です。
取り憑かれた描写も短い文章でおどろおどろしく表現されています。



「眠り」はある日突然眠れなくなった主婦のお話です。
17日間眠らずに過ごしていた主婦が眠りについてあれこれと考え、
深い闇の感覚に陥っていくような内容です(だと思います)。



一番印象に残ったのは「眠り」編です。
その中にこんな言葉が登場します。
「死とは、眠りなんかとはまったく違った種類の状況なのではないだろうかー
それはあるいは私が今見ているような果てしなく
深い覚醒した暗闇であるかもしれないのだ」
この感覚に似たものを僕も感じたことがあります。
じわっと染みてくる恐怖が伝わってきます。



物語全体になんとも言えない孤独や陰のようなものが
表現されているように思いました。
何が言いたいのかは分かりません。
分かろうとしましたが、分かりませんでした。
でも、なんだか分かるような気もします。
そんな不思議なお話です。 


2013年9月18日水曜日

丁年人間の読書感想文①

読んだ本の感想は別のサイトで簡単にまとめているのですが、
何冊かに一冊くらいは少し長く感想を綴ってみようかなと思っています。



ずっと気になっていた朝井リョウさんの「何者」を先日読みました。
物語の内容としては、就職活動中の大学生の現実とTwitter上での
姿の多面性を見事に表現した作品という感じでしょうか。



とにかく僕たち世代には痛いほど体に染みてくる内容です。
読みながら、朝井さん、読者をいじめるな〜と最初は思っていました。
意識の高い人、頑張っていることをアピールする人、
自分は周りとは違う人間なんだと発信する人、
そんな人達を「なに言ってんだよみんな」と自分はさも傍観者であり、
客観的な人間であるというスタンスをとりながら発信する人。
そんな人達が登場します。



Twitterをやっていて、こういう人に遭遇したり、
自分もそういう意識で発信したりしていることは
よくあることだと思います。
理想の何者かになったつもりで
、またなりたくて発信している。
また、「あ〜ああんなことになっちゃって」、
「バカだね〜」という傍観者意識もあったりして。
そんな誰もが経験のあるあまり突かれたくない部分を
見事にあぶり出し、えぐってくる内容です。
でも、誰にでもある経験なんだろうと思います
(だからっていいという訳ではありませんよね)。
ですが、行き過ぎると何か大切なものを見失ってもしまう。



現実の世界とTwitterでの世界、
傾き過ぎるのではなく、現実にスタンスを置きながら、
動いていくことを教えてくれるような内容だったのかな。



批判という内容ではなく、どちらかといえば
そんな若者に向けた激励の作品であるような気がします。
現実でしか、何者になれないんだそんなメッセージも聞こえてくるようでした。
これ、読んだ後に、しばらくいろいろ考えてしまいますよ。
ぜひ、機会がある方は書店や図書館へ(回し者ではありませんので)。

2013年9月11日水曜日

お世話になりました。

ある美容師さんがその職を離れることになりました。
僕はその美容師さんに長い間、お世話になっていたので、大変寂しい気持ちなのです。
いつものカットから、カラー、ちょっと挑戦的な髪型などなど
いろいろな相談にのってくれた方でした。
そして、それに応えてくれた方でした。



なにより、人柄が好きでした。
髪を切りに行くというよりは、話をしにいく。
という表現が正しいのかもしれません。僕の気持ちはそうでした。
いつまでも話をしたくなる方でした。そういう人っていいなと思います。
憧れます。だって、自分にはない部分ですから。



嘘でもいいんです。嘘でもいいから、
「あ〜分かります」って言ってもらえるって、やっぱり嬉しいものです。
自分を肯定してもらえるのは嬉しいです。
誤解を恐れずに言うならば、
「キャバクラに通うおっさんの気持ち」に似ているのかもしれません。
僕は少しだけ、その気持ちが分かる気がしています。
そういうお店に行ったことはないのですが、
きっと、疲れたおじさん達はそこで女の子たちに
自分を肯定してもらっているのではないのでしょうか。
それは、嬉しいことだと思います。



と、話が逸れてしまいました。



とにかく、僕はとてもいい美容師さんに出会うことができました。
その分、やはり、お別れは寂しいです。
ですが、それは単なる僕の感情です。
もう、その方は前をしっかり向いておられました。
さすがです。



僕はあの方に髪を切ってもらえて幸せでした。
いろいろな話もしました。
いい思い出です。
勤務最後の日に、お邪魔することもできて、よかったです。




さて、今後はどうしようかな。
とりあえず、SAMぐらい伸ばしてみようかな。髪の毛。
.....嘘です。



2013年9月4日水曜日

おしゃべり◯◯野郎

「おしゃべりくそ野郎」なんて言葉が一時期流行りましたよね。
あまり綺麗な言葉ではないのですが、なんだか気になっていました。
「おしゃべりくそ野郎」…..ん、俺じゃないか!!と。



ちょっと解体。
「おしゃべり」な「くそ野郎」なのか、
「おしゃべり」過ぎることで=「くそ野郎」なのか、
というように分けてみて、考えました。自分はどっちなのかと。
正直、分かりません(おしゃべりなくそ野郎だと大変です…)。
ただ、言えるのは「おしゃべり」であることは確実ということです。



ここで、こんなふうにだらだら打ち込んでいるのも、
「おしゃべり」が好きだからだと思うんです。
そうでなきゃ、誰も見ていない、こんな所に、
毎度、毎度、現れたりしませんよね。
(少し、悲しくなりましたけど)



おしゃべりしながら、自分の意見を言ったり、
相手の話を聞いたり、誰かを笑わせたり、笑わせてもらったり、
バカみたいなことを言ったり、バカみたいな話で盛り上がったり。
おしゃべりは誰かとじゃなきゃおもしろくありませんよね。



ただ、そんなおしゃべりで相手を不快にさせたり、
傷つけたりしてはいけませんね。
それは、本当に気をつけていこうと思っています。



それだと本当に「おしゃべりなくそ野郎」になってしまいます。
おしゃべりはいいけど、くそ野郎はいけません。



あ、それとたまには黙ってみるのもいいかもしれませんね。
「お静か野郎」になるのもいいのかも。
え?「そんなのなれっこないって?」
やってみなきゃ分かりませんよ。