2014年4月16日水曜日

見えてなんていないのさ〜

かつて首相だった人がこんなことを言っていました。
「私はあなたと違って、自分を客観的に見ることができるんです」
なるほど、そうなのか。と、その時は特に何も考えずに聞いていました。



で、辞書なんかで「客観的」を調べてみますと、
①主観、または主体を離れて独立するさま。
②特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。
とある訳です。



何が言いたいのかといいますと
自分を客観的に見るのってかなり難しいんじゃないのかな
ということなんです。特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりすることも
難しいとは思いますが、
これはなんとか頑張らないといけないことです
(僕ができている、できていないは別ですよ〜)。
でも、主観を離れるのはかなり難しいんじゃないかと、
やはり思うわけです。



じゃあ自分のことを自分は客観的に見ることができないのか。
と言われたら、そうだと思う!とけっこう強めに言えると思っています。
でも見れない訳でもない。
方法論みたいなものはあると思うんです。
それは、きっと、
自分ではない誰かの声を聞くということだと思うようになりました。
自分ではない誰かが自分を見ている目って、
自分で見ている分より、正確なような気がします。



自分で自分を見る時って、どうしても「こうでありたい」、
「(自分は)こうであるはずだ」みたいな考えが邪魔をして、
ちゃんと見ることができないと思うんです。



つまり、人の意見や、忠告はちゃんと聞いた方がいいんですよね。
ってことなのです。
ちょっと前の僕にとんでもなく足りなかったのが
この人の話を聞くということなんです。
今も十分ではないんですけどね。
そんなことを思い出したのです。





いや〜相変わらず、遠回りしています。







2014年4月2日水曜日

タモリ論

「いいとも論」なんて読み物をちょこちょこ読んでいます。
これ、いいとも論でもありながら、タモリ論みたいな内容もあり、
とってもおもしろく読んでいます。



そんな中に、あ〜すごくいいなこれ。と思える言葉がありました。
それは師匠でもある赤塚不二夫さんの葬儀でタモリさんが読んだ弔辞の内容です。
この弔辞の様子は何度も映像として見てはいるのですが、
今、改めて、その言葉に触れるとなんとも言えない気持ちになったのです。



「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、
前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は
重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は
前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と」



何も考えずに、「これでいいや!」と思うのとは違うと思うんです。
この言葉は。
たくさん考えて、いろいろなことを経験して、
いっぱい悩んだからこそ、このような言葉になるのかな?
楽観主義ではないと思うんです。すべてのことを肯定し、受け入れることは
簡単なことではないと思います。
でも、それができると重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになると。
この感覚は分かります。
ごくたまにこの気分になる時があります。
その時は、とっても気持ちがいいんです。



これは、僕ではない人の言葉です。
その僕ではない人の言葉だからこそ、
これはその人からのプレゼントでもあるのかもしれません。
大切にしたいなと思ったのでした。