2015年7月26日日曜日

足立美術館

行ってみたいと思っていた「足立美術館」に足を運べることができました。
足立美術館は米国の日本庭園専門雑誌が行っている日本庭園ランキングで12年連続で庭園日本一に選出されているということだったので、一度は訪れたいと思っていました。
足立美術館は地元安来市出身の足立全康氏が1971年に開館したものになります。
全康氏は実家の農業を手伝いながら村の商売の手伝いをしていくうちに、商売に深い関心をよせるようになり、14歳の頃、炭を運搬する傍らそれらを売ることで初めて商売を手がけることになったそうです。
そこから商才を発揮し、一代で財産を築いたそうです。
商売に向いている人というのはやっぱりいるのですかね。商売が好き、興味があるということなのかもしれませんが、僕にはあまり縁のない世界かなと今のところは思ったりします。


広大な日本庭園は「枯山水庭」「苔庭」「寿立庵の庭」「白砂青松庭」「池庭」「亀鶴の滝」の6つに分かれていて、面積は5万坪にもなるそうです。庭園に置かれている庭石や松などは全康氏が自ら全国を回り探してきたそうです。
開館の時の年齢が71歳だったことを思うとかなりアクティブな人だったのかもしれませんね。僕もいつまでもそのような気持ちは持っていたいなと思います。
庭園は専属の庭師やスッタフの方が毎日、手入れや掃除をしているそうです。
「庭園もまた一幅の絵画である」という言葉を全康氏が残していることからも、庭園を美しく維持することを大切にしていることを感じます。



「枯山水庭」
この枯山水庭は後ろの山も庭に取り込んだ借景を用いた庭園になっています。この写真の右側に「亀鶴の滝」があるのですが、なんとその滝は人工の滝なのだそうです。全康氏が「この庭には滝がいる」というようなことを思いついたらしく、ついに滝まで作ってしまったそうです。いや〜おもしろい方ですね。好きなものを極める姿勢は見習いたいですね。

「苔庭」
この苔庭ですが、樹木は全て斜めに植えられています。これは、樹木はもともと山の斜面に育ったものであるので、まっすぐに植えると樹木にとって負担であるという考えに基づいているそうです。



「池庭」
この池庭の池には鯉がたくさん泳いでいます。僕はこの庭が一番好きかもしれません。鯉の泳ぎを見ながらずっと見ていられる庭です。この庭は和風の庭と洋風的な建物との調和を考えた和洋折衷な庭になっています。



 「白砂青松庭」
 ここは横山大観の「白沙青松」が持つ清澄なイメージを庭園に表現したものになるそうです。

少し離れた所にある床の間に壁が切り取られた額のようなものがあり、そこからこの「白砂青松庭」を見るとまさに額におさめられた絵画のように見えます。「庭園もまた一幅の絵画である」という全康氏の言葉が聞こえてきそうですね。



そんな庭園を見ながら一息つける喫茶店があったり、おいしい食事が食べれるレストランがあったりします。とても贅沢な空間ですよ。


庭園だけはなく、美術館の中には日本画がたくさん収められていました。横山大観の絵画の横に全康氏のコメントがあるのですが、横山大観が大好きすぎてその作品をどうしても手に入れたかったという気持ちがにじみ出ている、なかなかおもしろいコメントの数々でそれを読むのもひとつの楽しみでもあるかもしれません。
あ、この美術館で同級生が働いていたのには驚きました。
とってもよくしていただき、感謝です。
また、秋に行ってみたいな〜。




2015年7月19日日曜日

外様

江戸時代などの大名の種類に
親藩(しんぱん)、譜代大名(ふだいだいみょう)、外様大名(とざまだいみょう)
というものがあります。
かなりざっくりな説明ですが、
親藩は将軍の親戚にあたる大名、
譜代はあの関ヶ原の戦いの前から徳川家康と仲良くしていた大名、
外様は関ヶ原の戦い以降、徳川家康に従った大名という感じになります。


どの大名も天下統一を成し遂げた徳川の部下のような存在になる訳ですが、
幕府があった江戸の周辺には親藩や譜代大名が置かれます。
親藩や譜代は幕府にとってはそれなりに信頼のおける
存在だったということになりますね。
親戚や、ずっと仲良くしていた関係だったので、
それもそうですよね。
しかし、外様大名は九州や東北、四国といった江戸から離れた
土地に配置されました。
仕方ないですよね。外様大名はもともとは敵という感じだったので、
仕方ないですよね。
しかも、外様大名と外様大名の間には譜代大名などを配置することで、
外様大名同士の連携をできないようにもしていたそうです。
仕方ないですよね。敵だったんですから。
天下統一したとはいえ、幕府も外様大名のことは警戒していたと思うので、
仕方ないですよね。


でも、なんだか、そんな外様大名のことを思うと、こう、なんていうのか
ちょっと同情というか、
おもしろくなかっただろうなと思ってしまうんです。
ずっと幕府に対する恨みというか、
あまりよくない思いをずっと抱いていたんじゃないかなと思うんです。
だって、きっと
ほかにもいろいろな不利なことを要求されたり、
させられたりしたんじゃないかなと思ったりするんです。
いや、仕方ないことなんですよ。
それはもう、仕方ないことなんです。
でも、なんだかそんな外様大名の気持ちを考えちゃったんです。
きっとそんな気持ちが後々に爆発していくのかもしれませんが、
あまり詳しくないので、なんともいえませんね。


「外様」という字もまたなんともですよね。

2015年7月12日日曜日

ライブ感

先週の7月4日にサザンオールスターズのライブのため福岡に足を運んでおりました。
生憎の雨模様だったのですが、そのためか気温も低く、動き回るには
涼しいくらいの天候でもありました。
歩き回っているとさっそく福岡市のマンホールに出会いました。


どういう意味のデザインなのか分からなかったので、調べてみると福岡市は平成2年に
下水道普及人口100万人を突破したことを記念して「下水道普及のイメージアップと
市にふさわしい個性的なデザイン」というテーマで公募し、鳥、ヨット、街並みなどの抽象的なデザインの組み合わせが「人の都・アクティブな福岡市」を連想させるということでこのデザインが採用されたようです。
写真のデザインは耐スリップ性能を向上させるために少しデザインを変更したものになるそうです。




そして、ライブなのですが、もう言うまでもなく(言いますが)最高でした。
やっぱりライブは何度行ってもいいですね。ライブ感というのでしょうか、
他の観客の方々と一緒になって歌う、体を動かす、手を叩くこと、その場を共有することで、感情が一体化するというのでしょうか自分の感情はみんなの感情でもあり、みんなの感情が自分の感情でもあるというような不思議な体験をすることができました。

原坊のダンスの場面、スーパーマンの場面、ピースとハイライトの場面という3箇所でなぜだか涙が出てきました。
桑田さんも59歳です。来年の2月で還暦を迎える体でありながら3時間半歌い続ける体力には圧倒させられました。
もっと楽しんでみなよ、もっと挑戦してみな、悩むことなんかない。なんていういろいろな感情を受け取りました。


そして、帰りにこれをたらふく食べました。







2015年7月5日日曜日

じっくり味わう絵巻②

妖怪を描いた絵巻「百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)」も
見ることができました。
この絵巻には獣が化けた物や、付喪神(つくもがみ)という使い古された道具の妖怪たちが羅列して描かれている様子が行列のようだからということで、百鬼夜行絵巻と呼ばれています。現物の写真がなくて分かりにくいですが、ここに描かれた妖怪たちはとても可愛らしく?怖いや不気味というより、どこかキャラクター性を持った描かれ方をしていて、
ちょっと昔でいう所のポケモン図鑑を見るようなおもしろさもありました。



具体的に見ていくと、笠の妖怪、糸巻きの妖怪、小槌の妖怪、破れうちわの妖怪、巾着の妖怪、櫂(水をかいて舟を進める道具)の妖怪、茶釜の妖怪など様々でした。
今の子どもたちにとっては、馴染みのない道具も多いですが、見たことやまだまだ使っている道具もありますね。また、この絵巻から昔はこんな道具を使っていたんだなと知ることもできるかもしれませんね。


以前、九州国立博物館に行った時に「針聞書(はりききがき)」という体にいるとされる虫の図とその治療法などが書かれた展示物も見ました。
馬カンという心臓にいるとされる虫や肺虫という肺にいる虫などがユーモラスな表現で描かれていて、とてもおもしろかったのを覚えています。
          (馬カン)        (肺虫)

かつての人は目に見えない存在をこのようにユーモラスたっぷりに表現していたのですね。それは遊び心もあるのでしょうが、それと同じくらい真面目に想像していたのではないかと思います。そして、それは世の中は様々な存在が混在しながら成り立っているという感覚も感じていたからではないでしょうか。この自分だけが自分の中心ではない、世の中の中心ではないという感覚はとても大切なことなのかもしれませんね。





(八雲の図の実物大)





常設展の中にはこのようなものもありました。相撲の始まりは出雲の野見宿禰(のみのすくね)と大和の当麻蹴速(たいまのけはや)が力くらべをしたことによるそうです。
当時松江藩は強豪力士を独占したようで、あの雷電為右衛門も松江藩お抱えの力士だったことは有名ですね。この手形もある力士の十歳の大きさのものだそうです。手を合わせると「どすこい!」なんて声を発するのでちょっと恥ずかしいのですが、そのあまりの大きさに驚いてしまいました。
当時の強豪力士を少しでも感じることのできる展示で、参考にもなりました。


お昼はこのようなお庭が見えるカフェで食事をすることもできます。




またそこでは、「四隅突出型墳丘墓」カレーというなかなか遊び心満載のカレーも頂くことができます。四隅突出型墳丘墓とは弥生時代中期以降に山陰地方や各地で作られたもので、その名の通り四隅が突出した形のお墓になります。これをカレーにするセンス、またスプーンが「発掘でもしてください」というようなスッコプ型というのもなかなか粋ですね。
ちなみに、あの島根の吉田くんで有名な蛙男商会制作の「古墳GALのコフィー」というフラッシュアニメに四隅突出型墳丘墓のダニエルくんというキャラクターも登場します。