「環境を知るとはどういうことか〜流域思考のすすめ/養老孟司 岸由二」という本を読みました。
河川事業のあり方やある地域の保全活動の様子を具体的にお話している本なのですが、最終的には教育の方にもつながっていき、とてもおもしろい本でした。ただ、読むのには少し時間がかかってしまいました。
その中で「今の防災設備には見通しがあるわけではなく、整備技術だけの問題になっている。50ミリの降雨対応だったらこのくらいの土手を作ればいいと計算して、終わりです。でも、そんな対応はお天道様や積乱雲には関係ない。林業も同じです。5年後、10年後の見通しが立った計画がなされてない。わずかな補助金を貰うための間伐のための間伐になっている」
これって教育や保育でも気をつけないといけないことだなと思いました。その場しのぎで子どもたちと関わっていくことは将来の子どものたちのことを考えていないということですよね。もっと、もっと長いスパンで子どもたちを見なければいけなし、その方が自然なのにどこか今はその感覚がないのかなと思うことがあります。今こう関わることで、将来はこうなってほしいんだという関わり方をもっとみんなが考えていけるといいのかなと思います。
そして、最後に養老先生は「自然とは解である」と話しています。
「子どもが自然を見ながら育つということは、その「解を」見ながら育つということです。知らず知らずに、自然の中の複雑な問題に関する答を絶えず、見ながら育つということです.....僕が一番、いい例としてあげるのが葉っぱです。一本の木に葉っぱがついている。思い思いの方向についているように見える。でも、きちんと見ていくと木によって葉のつきかたに規則があることが分かる。もっと追求すると太陽光を最大限受けられるような配列になっているはずだと気付く。さらに太陽が動いていることにも気付く。つまり、一本の木が全ての葉っぱを使って最大限の日照を受けようとした時に、葉の配列をどうするかという問題の解が、今見ている葉のつき方であることがわかる。これに最初から、方程式をたて、コンピュータをつかって問題を解こうとしたら、解けるかどうかわかりません。でも、植物を実際に見たらそこに解が出ているのです」
この文章を読んで、なんだか安心しました。でも、これは大人が子どもに伝えてはあまり意味がないことですよね。大人が「見て、見て!この木の葉っぱを見て、これはね〜」なんてことではなく、それを子ども自身が発見し、考え、自分の中の大発見になることが大切なんだと思います。
最近は自然について考えることが増えてきています。それは、とても自分にとって楽しいことです。
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