2013年7月31日水曜日

ふぇいすぶっくtokaついったーtoka

「この前なんか見たわ。投稿してたもん」、
「なんだかいろいろなことやってるみたいだね」、
「楽しそうだよね。幸せそうだよね。」
ちょっと気をつけないといけないなと思ったりします。
これ、FacebookとかTwitterというSNSから生まれてくるような言葉です。



結構な人がSNSを使っています。僕も使っています。
使っているからこそ、いいことも分かりました。
その分のあまりよくないことも感じてきました。
SNSから流れてくるのは情報です。
友達やフォローしている人が何をしたのか、何に興味があるのか、
どんな人物なのかというような情報が流れてきます。
それらの情報ってSNSがなければ知らなかったもの
ということがほとんどなんじゃないでしょうか。



だからこそ、どちらかといえば、
そんなに必要でもない情報だったりします。
「知り合いの情報」ということにフォーカスすると、
それはちょっと前までは、人伝えに聞く程度のものだったんだろうと思います。
その時の情報の速度や量はそんなに大したものではなかったはずです。
直接、話をしなければそんなに詳しい内容も分からなかったんだろうと思います。
でも、今はちょっと違ってきています。
知り合いの情報はスピーディーかつ大量に直接会わなくても、
仕入れることができるようになりました。
「仕入れる」訳ですから自分の意志です。
でも、これをうまくコントロールするのは少し難しい気もしています。
人に「知りたい」という欲求があるとするとそんなふうに思ってしまいます。



では、スピーディーかつ大量に知り合いの情報が入るとどうなるのか。
ぼくは「ペースが乱れる」ということになるんじゃないかと思うようになりました。
「あの人はこんなことしたんだ。いいな〜」、
「今そんなことしているんだ。私もやりたいな〜」
と思うことが増えると自分のペースは乱れます。
人を羨ましく思う気持ちは多くの人が持っている気持ちだと思います。
その気持ちをうまくコントロールできればいいのですが、
SNSの中でその「羨ましく思う対象」がたくさん存在してしまうと
うまく気持ちをコントロールするのが難しくなるんじゃないかと思うんです。



「だったら見なければいいじゃん」、
「そもそもそんなものやめてしまえばいいんだよ」ということも分かります。
ですが、厄介なのが「知りたい」という欲求なのです。
簡単にその知りたいという欲求を満たせてしまうので、厄介なのです。



知り合いには知り合いのペースがあります。
思いがあります。順序があります。
それは見ている側の人とは違うものです。
結果だけを見て、気持ちを乱してしまうとペースも乱れてしまいます。



まあ自分に自信があればあまり乱れることもないのかもしれませんね。 
これ、ちょっと気をつけたいなと思います。
あっ、逆の立場を忘れていましたが、見る側としだけではなく、
情報を発信する側としても気もつけないといけないことはたくさんありますね。



これはあくまでも僕の話です。







(友人が適当に描いてくれました)

2013年7月24日水曜日

夜、月を見ることがありますか。
僕はたまにじっくり見ることがあります。
特に、何か目的がある訳ではないのですが、気が付けば見上げています。
月を見ながら「昔の人は月を見て、いろいろなことを考えたんだろうな~」
なんて思ったりもします。
「なんだか今日の月は怪しいな~」とか
「ん?おお?いつもより月が大きいぞ」とか。



都会に行けばたくさんビルがあります。明かりもたくさんあります。
その中での月の存在ってどうなんですかね。
夜の主役という感じではないのかもしれません。
田舎にはあまり高いビルもなく、遅くまで明かりがあることもそんなにありません。
少し昔なら、(大昔はもっと)夜になれば明かりさえもなかったでしょうね。
そんな夜の主役はやっぱり月だったんじゃないのかなと思うんです。
どうしても目がいっちゃいますよね。
だって明るいものは月しかないんですから(言い過ぎかな)。



きっと月を見ながらいろいろと想像していたと思うんです。
良いことも悪いことも。
月の満ち欠けをもとに決められた太陰暦なんかはまず、
月を見るってことがあって生まれたんじゃないのかな。
漁師の人なんかも月を見ながら、漁の良し悪しを予測してみたり。
とにかく昔の人はきっと今の人より月を見る機会が多くて、
多いからこそ、そこからいろいろなことを感じっていたんだろうなと思ったんです。



なんだか、それっていいな~と。
自分都合で解釈しているんだけど、それは月の形や雰囲気から生まれているものであり、
結局は月都合のような。
月都合だと、「あ~おいらって小さいな~」なんて思いやすいんじゃないですかね。
「控えめ」って言うのかな。
その控えめがいいんですよね。




ずっと見てたから、「なんか行ってみたいな」って気持ちになったのかもしれませんね。






2013年7月17日水曜日

ピクニックラン桜江

7月14日に「第17回ピクニックラン桜江」が行われました。
今回はマラソン21㎞、10㎞、ウォーキングの3部門の行われ、僕はマラソン21㎞の部に職場の上司と先輩、3人で参加しました。
そして、3人ともワラーチ(手作り)を履いての参加となりました。上司はワラーチ歴が長いのですが、僕はまだまだワラーチ歴が短いので、特に僕は無事にワラーチで完走できるのかと不安を抱えながらこの日を迎えました。




スタートは水の国で、そこから10㎞は江の川沿いを走ります。傾斜はなく、フラットな道が10㎞続くのですが、ただ景色はほとんど変わらずそれはそれで辛い時間ではありました。


10㎞を過ぎると街の中へ入っていきます。橋を渡ってすぐの駅に職場の方がご家族で応援をしてくださっていたり、トンネルを抜けた所や街の中にも職場の方やSさんの姿も。他にも地域の方が沿道でたくさん応援をしてくださっていたのですが、なんだか温かいんですよね。こう見えて恥ずかしがり屋なので、いつも沿道の応援には心の中で感謝をしているだけだったのですが、この大会では不思議とみなさんの応援に「ありがとうございます!」、「がんばります!」という言葉が自然と口から出ていました。



そして、13㎞辺りからいよいよ山道へと入っていきます。いや〜本当に辛かった。坂はまだまだ楽には走れません。ですが、時間にして10分ほどでしょうか、体が少し楽になり、あまり辛さを感じずに走っているという瞬間がありました。不思議な感覚でした。


走っている時になんとか写真を撮ってみました。こんな道を上って、下って、走って、でございます。
途中、女性ランナーの方からワラーチについて聞かれ、そこから会話が広がり、楽しく走ることができました(この方にはゴール後にも会うことができて、「おかげで完走することができました!」とお伝えすることができました)。



やっと上りきったと思うと、次は下りが待っていました(当然ですね)。
この下りは上り以上に厳しかったです。ワラーチを履いての下りの練習の必要性を強く感じました。
下り終えた!!と思うとなんとそこから、ゴールまでの3㎞...またも坂道。心が折れそうになりながら走っていましたが、最後の最後で今回、所々で応援してくださっていた某役場のHさんの応援もあり、辛い気持ちを忘れることができ、走りきることができました。

(Hさんが撮影された写真です。ちなみに僕です。今回、少し足を痛めていたので大げさにテーピングなんてしていますが、大げさにし過ぎただけです笑)

タイムは2時間27分でした。2時間30分以内にゴールするということと、最後まで歩かないという目標を達成することができ、また、ワラーチで完走することもできて、とてもいい時間になりました。うん。嬉しかったですね。










2013年7月10日水曜日

抽象的


抽象的と具体的という関係があります。
最近、その抽象的なモノについて考えることが多くなりました。
抽象的というのを辞書で調べると
『いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化 して考えるさま。
「本質をにとらえる」』となっていました。
あまり難しく考えてもよく分からなくなるので
もう、それなら「具体的の反対」ってことにしちゃいましょう。



それで、抽象的というものをもう少し砕いて、例えをあげてみます。
星野源さんという方がおられます。
その方の「化物」という歌詞を少し読んでみてください。



『今日もまたもらった雨を瞳の中に仕舞って 
明日またここから幕が開くまで一人お家へ帰る 
風呂場で泡立つ胸の奥騒ぐ 誰かこの声を聞いてよ 
今も高鳴る体中で響く叫び狂う音が明日を連れてきて 
奈落の底から化けた僕をせり上げてく』



これは具体的というよりも、抽象的なものであると思います。
「今日もまたもらった雨を瞳の中に仕舞って」
なんて部分は一度聴いただけではどういう意味だかなかなか分かりませんよね。
それはなぜか… やっぱり、
この詞が抽象的だからということになるんだろうと思います。



抽象的だと言葉の意味が分からないというより、
その言葉が、文章が具体的ではないので、
いろいろな意味に受け取れ、分かりずらいんだと思うんです。
そして、そこが抽象的の深い所だったりして。



聴いている側の僕たちが「これ、どんな意味の詞だろう?」
と考え、想像させてくるきっかけにもなりますし、
今の自分の気持ちに合わせて様々な解釈もできそうです。
この2つは同じように見えますが、微妙に違っていて、
違っているんだけど、でも繋がっているという感じですね。



相手に想像させるという仕掛けはなんだかいいんですよね。
そのものの幅も広がるし、受け取る側の幅も広がります。
これって、子どもと環境を考えたりする上でも大切になってくるんじゃないかな〜。


2013年7月3日水曜日

気ままな旅

7月1日〜7月2日の間、職場の先輩であるB氏と1泊2日の気ままな男旅を楽しんできました。場所は四国、しかも、しまなみ海道以外は全て下道を通って目的地に向うという濃い旅になりました。




1日目、朝5時半から出発し、12時半頃に最初の目的地である愛媛県大洲市にある大洲城に到着しました。僕が一番興奮したのが、ビオトープでした。城を見に来たのに、メダカや鯉がいるこのビオトープが一番盛り上がりました。





次に向ったのが、愛南町にある「石垣の里」という所です。入り江に面した急斜面に民家が並び、それぞれの民家には台風や季節風から家を守るために、軒に達するほどの石垣が積み上げられています。その景色は美しく、何よりどうやって作ったのだろうと驚いてしまうくらいインパクトのあるものでした。その景観は「日本の美しいむら農林水産大臣賞」や「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」、「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれているそうです。そんな石垣の里に大人2人も夢中になり、迷路のようなこの石垣の里を「すごい!」、「どうなってるんだ?」と興奮しながら探索していました。








斜面から見る景色も美しかったです。

そして、石垣の里と同じ半島にある「高茂岬」にも行きました。高茂岬は愛媛県の最南端でもあり、100mもの断崖が続く岬です。晴れた日には九州も見えたりするんだとか。この日は九州の姿は見れませんでしたが、広い海を高い所から一望できました。写真や言葉ではなかなか伝えることのできないくらいの感動がありました。



その後は宿毛という地に移動して、1泊。今回の旅はお金をあまり使わないということも決めており、ホテル代も節約。ということで、シングルに男二人で宿泊しました.....ホテルの方には「シングルですが大丈夫ですか?」と尋ねられましたが、「だ...大丈夫です!」と力強くお返ししました。




2日目

2日目は早朝ランニングからスタート!!朝6時の港町宿毛をゆっくり10㎞ほどを2人で走りました。


そして、車で四万十市へ。まずは、四万十市にある「トンボ王国(四万十市トンボ自然公園)」に行きました。四万十市には多くの種類のトンボが生息しているそうで、今までに83種類ものトンボが確認されているそうです。また、ここは世界初のトンボ保護区にもなっています。1972年にこの市にあったベッコウトンボの生息地が埋め立てられた悲しさや悔しさからトンボ研究家でもある杉村光俊さんという方が多くの個人や団体の協力を呼びかけてこのトンボ保護区の整備を始められたそうです。


保護区内はキレイに整備がされていました。ハス池があったり、小川が流れていたりとトンボやそれ以外の生き物にも住みやすそうな環境でした。僕も池があったり、小川があるこういう環境は大好きで時間を忘れてしまいそうになります。




四万十川学遊館という建物もあり、その中には「とんぼ館」と「さかな館」というものがありました。さかな館では小さい頃から一度は見てみたかったアカメにも出会うことができました。アカメはその名の通り、目が赤く光る魚です。全長は1mを超える大型魚で、西日本の太平洋沿岸にのみ生息する魚で、主な生息地は高知県と宮崎県です。数も少なく、絶滅危惧種にも指定されています。


また、とんぼ館では世界中の昆虫の標本を見ることができました。B氏は世界一大きなカミキリムシの大きさに大興奮でした。


次に向ったのは四万十川です。この四万十川に架かる「沈下橋」が目的です。沈下橋は土地とほぼ同じ高さの橋で、欄干はなく、川が増水するとその名の通り水面下に沈んでしまいます。沈下橋は比較的安い費用で作ることができるため、山間部や過疎地といった交通量の少ない地域で生活道路として作られたそうです。高知県ではこの沈下橋を生活文化遺産と捉え、保存し、後世に残していくという方針だそうです。




四万十川に架かる沈下橋を一つでも多く見よう、渡ろうということで、川に沿ってぐんぐん進んでいきました。帰る方向もあるので、四万十川に架かる全ての橋を見ることはできませんでしたが、合計で6つの沈下橋を発見しました。


中には壊れているものも。


 
橋の上から見る四万十川の流れは力強く、大きく、その姿は美しいのですが、同時に怖さも感じました。自然とはそういう両面を持ち合わせているのかもしれませんね。



帰りは細い山道をひた走り、いくつもの山を越えました。B氏の素晴らしい運転技術のお陰で何事もなく帰ってくることができました。



今回の旅はB氏とだからこそ出来る体験ばかりで、普段の旅行ではなかなか経験できないことも多く、本当に充実した時間になりました。いい旅ができたという気持ちと共に、近くにB氏という素晴らしい先輩がいてくれることに改めて嬉しさを感じ、感謝も感じました。そういった様々な意味でも、自分にとって内容の濃い、いい旅になりました!!
また、行きましょう!
あっ、ホテルの前で見つけたこれ。なんだか気に入ってしまいました。