江戸時代などの大名の種類に
親藩(しんぱん)、譜代大名(ふだいだいみょう)、外様大名(とざまだいみょう)
というものがあります。
かなりざっくりな説明ですが、
親藩は将軍の親戚にあたる大名、
譜代はあの関ヶ原の戦いの前から徳川家康と仲良くしていた大名、
外様は関ヶ原の戦い以降、徳川家康に従った大名という感じになります。
どの大名も天下統一を成し遂げた徳川の部下のような存在になる訳ですが、
幕府があった江戸の周辺には親藩や譜代大名が置かれます。
親藩や譜代は幕府にとってはそれなりに信頼のおける
存在だったということになりますね。
親戚や、ずっと仲良くしていた関係だったので、
それもそうですよね。
しかし、外様大名は九州や東北、四国といった江戸から離れた
土地に配置されました。
仕方ないですよね。外様大名はもともとは敵という感じだったので、
仕方ないですよね。
しかも、外様大名と外様大名の間には譜代大名などを配置することで、
外様大名同士の連携をできないようにもしていたそうです。
仕方ないですよね。敵だったんですから。
天下統一したとはいえ、幕府も外様大名のことは警戒していたと思うので、
仕方ないですよね。
でも、なんだか、そんな外様大名のことを思うと、こう、なんていうのか
ちょっと同情というか、
おもしろくなかっただろうなと思ってしまうんです。
ずっと幕府に対する恨みというか、
あまりよくない思いをずっと抱いていたんじゃないかなと思うんです。
だって、きっと
ほかにもいろいろな不利なことを要求されたり、
させられたりしたんじゃないかなと思ったりするんです。
いや、仕方ないことなんですよ。
それはもう、仕方ないことなんです。
でも、なんだかそんな外様大名の気持ちを考えちゃったんです。
きっとそんな気持ちが後々に爆発していくのかもしれませんが、
あまり詳しくないので、なんともいえませんね。
「外様」という字もまたなんともですよね。
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