その方のお義父さんというのが80歳をこえる年齢の方で、
少し前にある病気で入院されていたそうなんです。
幸い、病状は軽かったのですが病名としては死にもつながるもので、
一つ間違えばということにもなりかねないものでした。
そんなお義父さんの入院中に、
食事として病院からスイカが出たそうなんです。
そのスイカがあまりにも美味しかったそうで、感動したお義父さんは
「来年、畑にまこう」と思い、
そのスイカの種を口から取り出し、丁寧にティッシュに包まれたそうです。
そして、無事に退院され、そのティッシュに包まれスイカの種も
ちゃんと持って帰られたそうです。
知り合いの方いわく、家に帰ると広げたティッシュの上に
その種が丁寧に並べられ、乾かされていたそうです。
この話を聞いたときに、ちょっと感動してしまいました。
「すごい話だな〜」と自然と声に出てくる感じでしょうか。
未熟な私は
80歳という年齢を考えると、病気をされ、入院しているということで、
気が滅入ってしまうのじゃないかなとやはり想像してしまいます。
この先、どうなるんだろう?
そろそろ...とこの病気を気にそんなことを悶々とベッドの上で
考えていてもおかしくないんじゃないかなと想像するのですが、
そのお義父さんは、スイカの味に感動して、
「よし、来年自分もこれを作ろう」と思われたのだと思うと、
もう、なんだか、その生きる意欲といいますか、
下を向かない自然な姿勢に感動してしまいました。
何かに感動できるというのは
気持ちが元気な証拠なのかもしれません。
何かに感動できる余裕があるということでもあるのかもしれません。
きっと、その方はスイカを食べて「美味しい」と
思ったとたんに、「よし、来年作ろう」と思ったんじゃないかなと
思うんです。普段から自然にそんなふうに考えられる方なんじゃないかなと。
病気になった時だけじゃなく、
普段の生活の時から、何でも「スイカの種」のような
考え方をしておくといいのかもしれませんね。
「スイカの種」は僕の中で、ちょっとした名言とか、格言みたいな
ものになっています。
病は気からといいますが、このお義父さんの「スイカの種」の
話はまさにそのことを教えてくださるようです。
「ダメだよそんなんじゃ。もっとスイカの種的な生き方をしないと」
と自分に言い聞かせてみようかと思います。
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