出雲で行われたくにびきマラソンに職場の上司、先輩とともに参加してきました。
僕以外の2人は制限時間である2時間をきる好タイムで見事完走されました。
僕は制限時間はクリア出来ずに「2時間26分54秒」という結果でした。15㎞地点まではいいペースだったのですが、そこから失速してしまい、ほとんど歩いてのゴールとなってしまいました。制限時間を超えると後ろから車がやってきて、時間を計測しているタグを回収されるんです。そして、沿道のスタッフさん達も足早に立ち去りだすんです。そんな中をゴールに向う景色は猛烈な寂しさをおびているんですよね。
しかし、後悔はしていません。自分なりに持てる力は出し切ったと思っています。とてもいい時間でした。数ヶ月前には想像もしていなかった舞台です。
それと職場の方達が応援に駆けつけてくれました。本当に嬉しかった。危うく涙腺が崩壊しそうになりました。僕がゴールするのが遅かったために出会えなかった人もいましたが、気持ちは受け取りました。ありがとうございました。
2012年2月11日土曜日
2012年2月9日木曜日
集団って
最初に言わせてください。今回は、いや今回も?裏付けのない、無責任な思いつきを綴っていこうと思いますので、ご了承ください。
この間、二人で散歩をしているおばあちゃん達を見て、「集団」というものについて考えました。
そのおばあちゃん達のやりとりを聞いた訳ではないのですが、少ない経験上、おばあちゃんが二人いると大抵は一人が気の強いぐいぐい人を引っぱるようなおばあちゃんで、もう一人はそのおばあちゃんの言うことを横で優しく頷きながら聞いているような優しそうなおばあちゃんじゃないのかなと思うんです。
これ、別におばあちゃんだけに当てはまることではないと思っています。その傾向の強弱はあるにしても、だいたい仲の良い二人組とかってこんな感じの関係だったりしませんか?
もちろん、全てではありませんが。
引き続いておばあちゃんを例えにだしますが、優しそうなおばあちゃんも違うおばあちゃんとペアになると立場が逆転することもあるんだろうと思います。
僕たちだって、全ての人に同じ対応をしているわけではありませんよね。会社での自分、恋人といる時の自分、家族といる時にの自分、友達といる時の自分って同じではないと思うんです。
それぞれの関係の中にあった自分に変化しているはずです。だからどんな人間で集団を作ったとしても、誰かが全体を引っぱっていくんだろうし、誰かが何も言わないような黙っている人にもなる(それがいけないという訳ではありませんよ)。
じゃ、黙って物静かな人ばかりを集めて集団を作るとその集団は何もしないただ、静かな集団になるのかといえば、そうではないんだと思います。その中でも、全体を引っぱっていく人がでてくるはずです(アリはこういう性質をもっているようです)。
つまり、何が言いたいのかというと、集団の中の役割を勝手に判断して、ものを見なくてもいいんじゃないのということです。
そこで集まった人同士で何とか解決するんじゃないのということです。
人間はそれができるから、ここまで生き残れてきたはずです。
この間、二人で散歩をしているおばあちゃん達を見て、「集団」というものについて考えました。
そのおばあちゃん達のやりとりを聞いた訳ではないのですが、少ない経験上、おばあちゃんが二人いると大抵は一人が気の強いぐいぐい人を引っぱるようなおばあちゃんで、もう一人はそのおばあちゃんの言うことを横で優しく頷きながら聞いているような優しそうなおばあちゃんじゃないのかなと思うんです。
これ、別におばあちゃんだけに当てはまることではないと思っています。その傾向の強弱はあるにしても、だいたい仲の良い二人組とかってこんな感じの関係だったりしませんか?
もちろん、全てではありませんが。
引き続いておばあちゃんを例えにだしますが、優しそうなおばあちゃんも違うおばあちゃんとペアになると立場が逆転することもあるんだろうと思います。
僕たちだって、全ての人に同じ対応をしているわけではありませんよね。会社での自分、恋人といる時の自分、家族といる時にの自分、友達といる時の自分って同じではないと思うんです。
それぞれの関係の中にあった自分に変化しているはずです。だからどんな人間で集団を作ったとしても、誰かが全体を引っぱっていくんだろうし、誰かが何も言わないような黙っている人にもなる(それがいけないという訳ではありませんよ)。
じゃ、黙って物静かな人ばかりを集めて集団を作るとその集団は何もしないただ、静かな集団になるのかといえば、そうではないんだと思います。その中でも、全体を引っぱっていく人がでてくるはずです(アリはこういう性質をもっているようです)。
つまり、何が言いたいのかというと、集団の中の役割を勝手に判断して、ものを見なくてもいいんじゃないのということです。
そこで集まった人同士で何とか解決するんじゃないのということです。
人間はそれができるから、ここまで生き残れてきたはずです。
2012年2月2日木曜日
ムシ2
今、読んでいる本の一つにひたすら大人が虫について語っている本があります。
その大人は養老さんだったり、池田清彦さんなどというおなじみの方々なのですが、この本、とってもおもしろいんです。もう、ぐいぐい読み進めています。
そんな本を読んでいるとやっぱり思い出してしまうんです。自分がひたすら虫ばかり捕まえていた頃を。
それは、それは狂うほど虫に夢中になっていました。大きな石を見つけるとその石を裏返して何かいないかと探していました。だいたいの目当てはハサミムシでしたね。あの細長い胴体にキリッとしたハサミが何とも言えないくらいかっこよかった。カタツムリやダンゴムシ、アリにカナブンもとにかくアホみたいに捕まえていました。
特にカマキリとてんとう虫は大好きで、カマキリなんかは草むらで草と同化していても簡単に見つけていました。もちろん、ものすごく草むらを凝視してはいましたが。本当にたくさん捕まえて、多くの時間、観察しました。
そんなことをしていると幼いながらにいろいろ分かってくるんですよね。この時期にはここにはあの虫はいないな〜とか。何かこの石の裏にいそうなきがするんだよな〜とか。いい草むらだなとか。いろいろなことが直感というか感覚というそういうもので分かるような気がするんです。
これって結構、大切なことなのかなと思います。直感って勘とかと似ているものだと思うんですが、この勘って案外ちゃんとしているものだと思うんです。
直感とか勘って今まで経験してきたことが集約されて最善の方法として出てくるものらしいんです。今までの経験の最高の形が直感だと。そうなるとその感覚を磨くためにはとにかくいろいろな経験をした方がいいんだと思います。
子どもの頃は特にそうかもしれません。自分で試して、考えて、動いたその結果をたくさん貯めておく。子どもってそんなことをたくさん繰り返しながら大人になっていくんだろうなと思ってみたのです。
よく分からないかもしれませんが、なんとなく伝わればいいです笑
その大人は養老さんだったり、池田清彦さんなどというおなじみの方々なのですが、この本、とってもおもしろいんです。もう、ぐいぐい読み進めています。
そんな本を読んでいるとやっぱり思い出してしまうんです。自分がひたすら虫ばかり捕まえていた頃を。
それは、それは狂うほど虫に夢中になっていました。大きな石を見つけるとその石を裏返して何かいないかと探していました。だいたいの目当てはハサミムシでしたね。あの細長い胴体にキリッとしたハサミが何とも言えないくらいかっこよかった。カタツムリやダンゴムシ、アリにカナブンもとにかくアホみたいに捕まえていました。
特にカマキリとてんとう虫は大好きで、カマキリなんかは草むらで草と同化していても簡単に見つけていました。もちろん、ものすごく草むらを凝視してはいましたが。本当にたくさん捕まえて、多くの時間、観察しました。
そんなことをしていると幼いながらにいろいろ分かってくるんですよね。この時期にはここにはあの虫はいないな〜とか。何かこの石の裏にいそうなきがするんだよな〜とか。いい草むらだなとか。いろいろなことが直感というか感覚というそういうもので分かるような気がするんです。
これって結構、大切なことなのかなと思います。直感って勘とかと似ているものだと思うんですが、この勘って案外ちゃんとしているものだと思うんです。
直感とか勘って今まで経験してきたことが集約されて最善の方法として出てくるものらしいんです。今までの経験の最高の形が直感だと。そうなるとその感覚を磨くためにはとにかくいろいろな経験をした方がいいんだと思います。
子どもの頃は特にそうかもしれません。自分で試して、考えて、動いたその結果をたくさん貯めておく。子どもってそんなことをたくさん繰り返しながら大人になっていくんだろうなと思ってみたのです。
よく分からないかもしれませんが、なんとなく伝わればいいです笑
2012年1月24日火曜日
障害
先日まで朝日新聞で吃音をもつヒカル君の特集(全8回)が掲載されていました。
吃音を持っていることで、周りからいじめられたり、からかわれたりし、たくさん泣いて、たくさん悩んできたことが記事には書いてありました。
また、ヒカル君は小学校に入学してから言語訓練に通い始めたそうです。
吃音を持っていることで、周りからいじめられたり、からかわれたりし、たくさん泣いて、たくさん悩んできたことが記事には書いてありました。
また、ヒカル君は小学校に入学してから言語訓練に通い始めたそうです。
ですが、ある日「訓練」という言葉を辞書で引いた時に訓練の意味(あることを教え、継続的に練習させ、体得させること)に違和感を覚えたそうです。ヒカル君は練習などで吃音を治そうとするのは今の自分を否定されているような気がすると感じ、担当の先生と相談して言語訓練を「ことばの教室」と呼ぶことにしたそうです。
記事の中では、辛い経験をしても、吃音をもつ自分を受け入れようとしてきたヒカル君がいました。
最後にヒカル君は「今はある程度、自分の吃音と向き合い、受け入れられていると思う」と語っています。受け入れるってどういうこと?と問われると、「自分を好きになることかな」とこたえています。
時を同じくして、「早期教育と脳 」、「発達障害の子どもを理解する」という小西行郎さんの著書に出会いました。その中で、【私は障害児・者の問題は、彼ら個人の問題ではなく、むしろ周囲にいる私達いわゆる健常者の問題であることを確信したのです。ハンデのある物が努力して変わるより、そうでない健常者が受け入れることの方が容易で安全かもしれません】という文章がありました。
様々な障害を持ち、生活をされている方はたくさんおられます。障害を持った人たちに訓練や治療することで日常生活を送りやすく・・・というような言葉をよく耳にします。障害を持つ人たちが訓練しなければ日常生活が送れないということそのものが何か違うんじゃないんかなとも思っています。小西さんが言われるようにそれよりもまず、障害を持つ人の周りの人間である我々が考え方を変えるべきという言葉にとても納得しました。こんなことを言っている僕も何だか線を引いているようで嫌なのですが。
社会に出るために障害を治す、訓練するという考え方よりも、それを自分自身が受け入れる。社会が受け入れるような方向へ進んでいけばいいなと思いながら読ませていただきました。
ヒカル君の記事や小西さんの本から、まずは自分が持っている障害というものをより、考えるきっかけになりました。一人の人間として、また周囲の人間として、考えることがたくさんありそうです。
まだまだ、何もわかっていません。
(最近ではその子なりの特性、個性ということを考えずに安易に障害という診断をされる子どもが増えていることも小西さんは指摘させておられます。なんだかある枠の中にいればいい子なんだという考え方があるような気がしてなりません。その子、その子をしっかり見守っていくことを忘れてはいけないと思っています。)
繰り返しますが僕はまだまだ何も分かっていません。だからこそ、分かろうとすることを止めたくありません。意識することをつい忘れてしまいそうになる日常を大切に考えて過ごしていきたいと思います。
2012年1月17日火曜日
森のようちえん まるたんぼう
先日、「鳥取県智頭町森のようちえん まるたんぼう」さんの所へ行ってきました。
職場の先輩と3人での楽しいプチ旅行のような旅でした。
まるたんぼうさんの所へは何度かお邪魔しているのですが、冬の時期は初めてだったため、白一色の風景には興奮してしまいました。
まるたんぼうのスッタフのみなさんにも温かく迎えられ、自然たっぷりのまるたんぼうを満喫しました。
そして、大人4人による(まるたんぼう対僕たち)雪合戦も白熱しました。激闘は1時間以上にもなりましたが、全く疲れを見せないまるたんぼうチームには驚きました。
我々というと体力、気力ともにボロボロになりました。来年の冬にはリベンジです!
戦いの後のご飯もおいしかったのですが、汗で冷え切った体が震えていて、味わってたべることができませんでした笑
これも、どれもいい思い出です。
まるたんぼうハウスに帰ってからはいろいろな話で盛り上がり、ここでも楽しい時間を過ごすことができました。
いや~今回も本当に気持ちがスッキリ!という感じで、体の中のストレスが全てなくなるような感覚を味わいました。
また、遊びに行きます!
2012年1月11日水曜日
ここにいます
なんだか分からないけど、いつも焦っている自分がいます。なんとなくですが、その焦りがあまり意味のないものだということが少し分かってきました。
だから焦るのを止めるように意識しようと思います。
焦るってどういう感情なんでしょうか?
いい意味で自分を中心にしてゆっくり進んでいけば焦らなくなるような気がするんです(僕の場合は)。
自分を中心にできればゆっくり進めるのだと思うので、少し矛盾していますが。
相手を中心に、ん〜中心とまではいかなくても、誰かの存在を異常に意識してしまうとその相手に中心を合わせようとしてしまう。そうするともう、自分のペースじゃないですよね。
だから焦ってしまうんでしょうね。もう、これはおしまいです。もう少し自分に向き合おうと思います。うん、そうします。
年が明けてからそんなことばかり考えていました。少しは整理できたのかな。
だから焦るのを止めるように意識しようと思います。
焦るってどういう感情なんでしょうか?
いい意味で自分を中心にしてゆっくり進んでいけば焦らなくなるような気がするんです(僕の場合は)。
自分を中心にできればゆっくり進めるのだと思うので、少し矛盾していますが。
相手を中心に、ん〜中心とまではいかなくても、誰かの存在を異常に意識してしまうとその相手に中心を合わせようとしてしまう。そうするともう、自分のペースじゃないですよね。
だから焦ってしまうんでしょうね。もう、これはおしまいです。もう少し自分に向き合おうと思います。うん、そうします。
年が明けてからそんなことばかり考えていました。少しは整理できたのかな。
2012年1月1日日曜日
2012年
2012年が明けました。今年は辰年。年男なんです。そんな今年、どんな目標で一年過ごそうかと考えていました。いろいろ考え過ぎても仕方がないので直感的に思い浮かんだことを目標にしていこうと思います。
それは「焦らない」ということです。とにかく、様々なことについて焦らないことです。結果を早急に求めてしまったり、プロセスを大切にしなかったりしないことです。
「時期尚早」という言葉が昨年の自分を表す言葉だったように思います。今年はその反省が活かせるようにしたいですね。
加えて、昨年からの目標である「よく考え、実際に行動する」ということも頑張っていきたいと思います。
それは「焦らない」ということです。とにかく、様々なことについて焦らないことです。結果を早急に求めてしまったり、プロセスを大切にしなかったりしないことです。
「時期尚早」という言葉が昨年の自分を表す言葉だったように思います。今年はその反省が活かせるようにしたいですね。
加えて、昨年からの目標である「よく考え、実際に行動する」ということも頑張っていきたいと思います。
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