2013年6月26日水曜日

落ち込むって

「落ち込む」ってなんなんでしょう。
そんなことについて少し思いを巡らせていました。
みなさん、一度は落ち込んだことってありますよね。
僕も落ち込みます。
いやいや、よく落ち込みます。
厄介ですよね。落ち込むって。
気持ちが「どよ〜ん」となってしまいます。
目の前のことに集中できなくなってしまうこともありそうです。
で、落ち込んだ時に考えたんです。なんで、人は落ち込むんだろうって。
それが分かれば、少しでも楽になれるかなと思ったもので。



で、考えた結果。「自信」が関係しているんじゃないだろうかと思ったのです。
自信過剰はいけませんが、適度に自信を持つことは必要かもしれません。
でも、これが厄介で。少しできるようになると慎重さを忘れるというか、
あまり考えずに行動してしまうことになったりします。
そういう時って、案外、自分では気がつかないんですよね。
で、ミスをしちゃう。
ミスをしちゃうと「ちょっとそれはどうなの?」と誰かが教えてくれます。
「あっ、またやってしまった」となる訳です。



「俺はいつまでたっても成長しないな…同じことの繰り返しばかりじゃないか」となると、
これは落ち込んでますね。
その都度、反省はするのですが、失敗の繰り返しには、どこか傲慢さも隠れていて、
つまり、自信を持ってしまったことが原因なんだろうと思うのです。
僕は自信をそんなに持ち合わせてはいないのですが、
これを「慣れ」みたいなものと考えると、
その先には「自信」というものが隠れているような気もします。
これから、
無意識のこのちょっとした自信を削ぎ落とす訓練を意識していこうと思います。



あ、これ僕の話ですよ。
みなさんはどんどん自信を持ってください。僕は削ぎ落とすことにします。
って別に自信がある訳ではないですよ。むしろ、その反対です。
そういう意識でいたいな~ということです。はい。


















2013年6月19日水曜日

その男、気まぐれにつき

彼の考えていることは分かったためしがありません。
もちろん、全てが分からないということもないのですが、
大きな枠で彼の言動を思い出せば、
やっぱりそれは「分からない」ということになるんだろう思います。
私の実家から、彼の実家までは歩いて30秒程です。
彼はいつも自分の都合で私の家に顔を出します。
そして、何をする訳でもなく、私の家に滞在します。
ひどい時は5分ほど滞在した後に「じゃあ、帰るわ」と言って、引き上げていきます。
こちらも「ああ」と気のない返事で応えます。
訪問時間も実に気ままです。
夕飯時、就寝前、ひどい時には12時を過ぎてから来ることもありました。
彼の頭の中に中学生が朝一番に目にし、
その日一日をどのように過ごすかを判断する大切な指針である、
時間割というものがあるとするならば、
私の家に訪問するという項目はその時間割の中にはなく、
3限目と4限目の間に文字としては存在しませんが、
でもはっきりと存在する「10分間の休憩」のようなものなのだろうと思います。




私の部屋の窓ガラスが何の前触れもなく、叩かれます。
彼の登場です。
私の部屋は一階にあるため、
彼はこのように無礼な態度で自らの到着を知らせることができるのです。
不意に窓を叩かれた私は当然、驚きます。
と同時に「また来たか」と思うわけです。
部屋に上がり込んだ彼はいつものように私の部屋で唯一スペースが確保されているイスに腰掛けます。
無論、用件などはありません。
しかし、決まって彼が言う言葉があります。
「なにか面白い話ないの?」です。随分と乱暴な振り方です。
自分の都合で来ておいて、その上、こちらに
「おい。なにかおもしろいことをしろ」と要求するのです。
困った奴であります。私も「ない」と愛想のない返事をするのですが、
そこは私です。
案外、そう言われると「何か面白い話はないかな」と考えてしまいます。
そして、数十秒後には何かを話し始めています。
いつものパターンです。仕方ないのです。
黙っていたって彼が何かおもしろいことを言う訳ではありません。



この男、基本的に自分の話はしないというスタンスの人間です。
昔からそうで、簡単にまとめてしまえば「ずるい」のであります。
いや、「ずる賢い」というべきかもしれません。
いやいや、もっと言えばこの男には「才能」というものがある
と言ってもいいんだろう思います。幼い時から彼は何でもできました。
勉強もできました。字もうまかった。絵のセンスもありました。
運動も私よりははるかにできていました。
おまけに男前という体であります。
しかし、不思議と悔しいという感情はありませんでした。
羨ましいと思うことはあっても、マイナスな感情は湧いてきませんでした。
そんな彼の「おもしろい話ない?」に私はいつも親切に応えていました。たぶん。
しかし、誤解しないでいただきたいのは、
今までの説明だと私はさながら彼の召使いという印象を与えてしまうかもしれません。
それは、少し違うのです。

続く...

2013年6月12日水曜日

せっけんと、はんどくりーむ

石鹸で手を洗いますよね。
特に冬場になると手を洗う回数が増えます。
それにより、手がカサカサしてしまいます。
あのカサカサした感覚ってどうも好きになれません。
なんだか手先の動きが鈍くなるような気がします。
カサカサしていない時には鋭いのかと言われるとそうでもないんですが。
で、カサカサになると、次は手に潤いがほしくなるので、
ハンドクリームを塗ります。
ハンドクリームはいいですね。
さっきまでカサカサだった手がウルウルになります。
それでもまた、手を洗う時がやってきます。
そうすると石鹸と水でハンドクリームが洗い流されて、
また手はカサカサになってしまいます。
でも、もう一度ハンドクリームを塗ることで、
ウルウルになります。もう冬場なんてこの繰り返しです。
カサカサとウルウルのダブルス戦です。



元を辿れば石鹸で手を洗うということは大きな要因なんですよね。
手の脂みたいなものが石鹸でなくなっちゃうんですよね。
確かそんな話でしたよね?
石鹸で手を洗ったことの穴埋めをハンドクリームさんがしてくれている。
ハンドクリームも石鹸も自然のモノではありませんね。
石鹸を使うからハンドクリームが必要になって、
石鹸を使わなければそこまでハンドクリームがも必要じゃなくなる(もちろん、水で手を洗うだけでもカサカサになりますよね)ということもあるのかもしれません。



石鹸を使わないというのは僕には無理な話なので、
これからもハンドクリームさんとは長い付き合いになりそうです。
でも、あなうめ、あなうめ、つぎはぎ、つぎはぎの限界ってあるのかもしれませんね。
そんなことを思ったり〜
ヌリヌリ。 

2013年6月5日水曜日

変わっているんですよね〜

「昔からあなたは変わらないよね」とか
「この町は昔から変わらないな」ということをよく耳にしますが、
「本当かな?」と思ってしまいます。



例えば早稲田大学の教授で虫取りが大好きな
池田清彦先生は著書でこんなことを述べられています。
「体力、気力、知力を尽くして何かをして遊ぶのが
楽しいという基準からすれば、老人になるに従って楽しみは減るばかりであるが、
基準を変えれば、楽しみ方もまた変わるわけで、
若者の方が常に楽しいとは限らない。
私は二十歳代の頃、毎日麻雀ばかりしていて、
人生の楽しみは虫採りと麻雀だけだと思っていたが、
三十代半ば頃から麻雀はパタリとやめてしまった。
何が楽しかったのか。今じゃよく分からない。
毎日十時間近く麻雀をしていてよく飽きなかったものだと思う。
きっと脳が変わってしまったに違いない。」
また、今も続けている虫採りも採る楽しさから、
蒐集(しゅうしゅう)の楽しさへ、
そして見る楽しさへ変化していったと述べられています。



また養老孟司先生も(この2人…とっても仲良しです)
『昨日の「私」と今日の「私」は違うというのが

もっとも大きな主題だったと思える。
もし、同じだったらいつまでも死なないことになる。
昨日まで生きていた自分が、明日死ぬことなどありえない。
ところが、現代は、毎日変わらぬ「私」がいるという
「真っ赤なウソ」がまかり通っているから、可笑しなことになっている。
脳細胞以外は、三ヶ月もすると体の細胞のほとんどが入れ替わり、新しい体になる。
脳細胞というのが曲者なのだが、
これも実は老齢になってからも海馬辺りで
新しい細胞が生まれるということが判ったから、
脳細胞すらも変わっている。
しかも、脳細胞は日々死んでいることも事実だから、
脳すら、変わらない自分を支えていることはない。
大恋愛して結婚して、どんなの長くても十年もすれば、
なぜ、この人を好きになったのだろうと思うようになる。
明らかに、十年前の「私」と今の「私」は違うからだ。】と仰っています。



僕も変わらないモノなんてないんじゃないかなと思います。
自分自身も1年前と確実に考え方は変わっています。
僕も「昔から、変わらないよね」みたいな言葉は言ってしまいます。
で、その時にいつも感じるのは「変わらない」という事実があるんじゃなく、
「変わってほしくない」自分の思いがそんなことを
言わしているんじゃないのかなと思うんです。
「変わらない」と思うことで、思い出が美しく保てるのかもしれませんね。
でも、人は変わってしまうんだろうと思います。
いや、変わっちゃいますよね。
それはそれなので、あまりそれを責めずにいきたいですね。