「昔からあなたは変わらないよね」とか
「この町は昔から変わらないな」ということをよく耳にしますが、
「本当かな?」と思ってしまいます。
例えば早稲田大学の教授で虫取りが大好きな
池田清彦先生は著書でこんなことを述べられています。
「体力、気力、知力を尽くして何かをして遊ぶのが
楽しいという基準からすれば、老人になるに従って楽しみは減るばかりであるが、
基準を変えれば、楽しみ方もまた変わるわけで、
若者の方が常に楽しいとは限らない。
私は二十歳代の頃、毎日麻雀ばかりしていて、
人生の楽しみは虫採りと麻雀だけだと思っていたが、
三十代半ば頃から麻雀はパタリとやめてしまった。
何が楽しかったのか。今じゃよく分からない。
毎日十時間近く麻雀をしていてよく飽きなかったものだと思う。
きっと脳が変わってしまったに違いない。」
また、今も続けている虫採りも採る楽しさから、
蒐集(しゅうしゅう)の楽しさへ、
そして見る楽しさへ変化していったと述べられています。
また養老孟司先生も(この2人…とっても仲良しです)
『昨日の「私」と今日の「私」は違うというのが
もっとも大きな主題だったと思える。
もし、同じだったらいつまでも死なないことになる。
昨日まで生きていた自分が、明日死ぬことなどありえない。
ところが、現代は、毎日変わらぬ「私」がいるという
「真っ赤なウソ」がまかり通っているから、可笑しなことになっている。
脳細胞以外は、三ヶ月もすると体の細胞のほとんどが入れ替わり、新しい体になる。
脳細胞というのが曲者なのだが、
これも実は老齢になってからも海馬辺りで
新しい細胞が生まれるということが判ったから、
脳細胞すらも変わっている。
しかも、脳細胞は日々死んでいることも事実だから、
脳すら、変わらない自分を支えていることはない。
大恋愛して結婚して、どんなの長くても十年もすれば、
なぜ、この人を好きになったのだろうと思うようになる。
明らかに、十年前の「私」と今の「私」は違うからだ。】と仰っています。
僕も変わらないモノなんてないんじゃないかなと思います。
自分自身も1年前と確実に考え方は変わっています。
僕も「昔から、変わらないよね」みたいな言葉は言ってしまいます。
で、その時にいつも感じるのは「変わらない」という事実があるんじゃなく、
「変わってほしくない」自分の思いがそんなことを
言わしているんじゃないのかなと思うんです。
「変わらない」と思うことで、思い出が美しく保てるのかもしれませんね。
でも、人は変わってしまうんだろうと思います。
いや、変わっちゃいますよね。
それはそれなので、あまりそれを責めずにいきたいですね。
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