2013年8月28日水曜日

完全変態

タイトルだけを見ると断定された変な人。みたいですね。
「変態」というものがあります。
そっちの「ヘンタイ」ではなく、「変態」です。



変態とは、動物なんかがその成長過程で姿を変えることを指した言葉です。
幼虫がサナギになるあれです。
チョウチョなんかは卵が羽化して、幼虫になります。
そして、その幼虫がサナギになり、成虫(チョウチョ)になります。
この幼虫が成虫に姿を変えることを変態といいます。
DNAなんかは同じらしいのですが、全く姿の違うものになってしまいますね。



と、なるとチョウチョは変態をする生物ということになります。
卵→幼虫→サナギ→成虫と変態することを完全変態と呼びます。
カブトムシやクワガタムシ、ハチやテントウムシなんかは完全変態生物ですね。



完全があると不完全もやっぱりあるようで、
不完全変態というのもあります。
不完全変態はサナギにならずに幼虫から
そのまま成虫になる生物のことのようです。
例えば、セミやカマキリ、トンボなどです。



その他にも過変態とか、無変態というのもあるようです。
ちなみに人は「ヘンタイ」にはなれますが(ならない方がいいですが)、
変態はしませんね。
なんだか、すごいですよね。変態って。
姿が全く違うものになってしまいます。
僕なんかも、赤ちゃんの時と比べると変わりはしましたが、
姿はまあ、とりあえずは人でやってきています。



幼虫からサナギになるのも不思議ですが、
それがまたチョウチョやカブトムシになるんですよね。
いや、不思議です。
僕が、
あさってぐらいからブラット・ピットになるようなものだと思ったら、
こりゃ大変なことです。
ちなみになぜ、変態するのか詳しいことは分かっていないそうです。
きっと、必要があるから変態しているんだとは思うのですが...。
いや、そうでもないのかも...。
ん〜不思議だ。 変態。





2013年8月21日水曜日

あの人と、この人


あの人が言うことと、この人が言うこと。
あの人と、この人が同じことを言っていたとして、、
あの人の言うことの方が納得するとか、
あの人の言うことを信用するなんてことがあると思います。
あの人も、この人も同じことを言っているのにです。



この人にとっては、腑に落ちないこともあると思います。
腹も立ってしまうこともあるかもしれません。
だって、言っていることはあの人と同じなのに、
この人の言っていることは受け入れてもらえないのですから。



でも、それって、よくよく考えたら、いや、よくよく考えなくても、
あの人とこの人に違いがあるからなんですよね。
はっきりとした違いがあるんだと思います。
あの人の言うことが納得できるのは、あの人が
それまで積み上げてきた信頼とか、信用が
どーん!!と目の前にあるからなんですよね。
それはもしかしたら「人柄」というものでもあるのかもしれません。



で、反対に同じことを言っていてもこの人には、
あの人と違って、信頼とか信用がない。
なんなら人柄もあまり...という感じ。
そうなると、やっぱりこの人の言うことには誰も反応しなくなっちゃう。
いや、反応したくなくなるのかもしれません。



そう、思った時に、自分はどうなんだろう?と思ったんです。



「まだまだあの人にはなれていないな」と。
もしかしたら、「この人」に限りなく近いのかもしれない。
いや、近いのではなく、「この人」なんです。
そう思うと、今までの自分の様子が割と見えやすくなるような気がします



これでは、いけません。
あの人になっていかないといけません。



あの人とか、この人とか面倒な文章で、すいません。
あの人と、この人。あっちこっち、そっちこっちです。




2013年8月14日水曜日

ちょ〜びんかん

ちょーびんかんです。
いや、超敏感です。いやいや、腸敏感です(正確には”だそう”です)。



何が言いたいのかといいますと。どうやら僕、腸が敏感みたいなんです。
先日、大腸がん検査を受けました。
はい。お尻からカメラを入れる、あれです。
その時に、もう、それはそれは悶えました。苦しみました。
普通はそんなに苦しまないそうです。
その時にお医者さんに「君、腸が敏感だね」と告げられたのです。



「あ、俺って腸が敏感なんだ」と知らされたのです。
もう、そうなると「俺は腸が敏感」野郎になる訳ですよ。
なんか、こう、ちょっと気にしちゃうんですよね。
気にし過ぎちゃうんです。



で、最近、結構なストレスを感じることがあったんですが、
そのストレスがお腹にきたんです。
「あ、今、お腹が変になってる」というのを感じたんです。
以前と違うのは「お腹が痛いから」→「どうしたんだろ」じゃなくて、
「こういう理由だから」→「お腹が痛いんだ」になっちゃってたんです。
このパターンが何回があったんですよね。
気にし過ぎるからなんでしょうね。



でも、そんな時に思ったんです。
腸が敏感なのは、たぶん間違いない。
だったら、その腸を敏感じゃない方へ持っていくんじゃなくて、
自分の腸は敏感なんだと思う事にして、
その敏感な腸と付き合っていく方がいいのかな〜と。
その方が自然なのかなと。



「僕、腸敏感なんです!!」


2013年8月7日水曜日

サザンオールスターズ


サザンオールスターズが復活しました。
サザンと桑田さん。やっぱり違うんですよね。
サザンはサザンなんです。



僕がサザンと出会ったのは中学一年生の時です。
友人が購入した、サザンのベストアルバムから一気に火がつきました。
当時から比べると僕も変わりました。
一応、大人といわれる年齢にもなってきました。
そうなると、サザンを聴く気持ちも変わってきます。
で、思うのは、

サザンもまた変わっているんじゃないだろうかということなんです。



今回の新曲の中の「栄光の男」の詞にこんな言葉があります。
【生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない

 鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯
 老いてゆく肉体は 愛も知らずに満足かい? 
喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ/栄光の男】

この歌でどれだけの人が救われるでしょうか。
「それでいいんだ。それがいいんだ」と、
僕も救われた人の中の一人です。




サザンはあまりこういう歌を唄ってこなかったように思います。
いや、あるのはあったのですが、
ハッキリとそういう歌であるということは
言ってこなかったような気がするのです。
それが、少し変わってきている。と思っています。
そして、そのサザンの変化が自分の気持ちと、
ちょうどリンクしているような感覚になります。
その感覚が、たまらなく、サザンというグループを
僕の中へ強烈な印象で再登場させてくれました。



桑田さんが、サザンが「栄光の男」を歌い、

世の中の人が共感するのは、
みんな栄光という幻想を追うことに疲れてきて、
それが「どうも違うんじゃないか」ってことに
気がついてきたからなんじゃないのかな。
桑田さんの歌が、思いが、先人の知恵だとしたら、
僕は素直にそこから学ぶ姿勢を大事にしたいと思います。


若いとか若くないとかではなく、幻想を追うことより、

栄光の男になろうとすることより、
大切にしなければいけないものがあるのかなと思います。



(勝手に作ってしまいました)