まず、落語とは滑稽話を中心としたもので、
落ちを持つ「落とし噺(ばなし)」のことを指すのですが、
現在では人情話、怪談話も含めた総称として用いられるそうです。
「落ち」という言葉はよく聞きますよね。
「お前の話しには落ちがない」なんて言われることもありますが、
日常の会話で落ちを意識する人はそんなにいないかもしれませんね。
落語の噺は落ちだけではなく、
「マクラ、本題、落ち」が基本構造になっています。
マクラは本題への導入部分で、本題に入る流れを作ったり、
本題の中にある分かりにくい言葉などの
説明をさりげなく入れたりする部分であると言われています。
そして、本題の噺があり、落ちへつながっていくというのが
落語の基本的な流れになっています。
ちょっと話しはズレますが、
落語は江戸落語と上方落語(大阪や京都を中心とする)に大きく分けられます。
江戸と上方の違いとしては言葉ももちろん違うのですが、
上方にはあまり人情噺がないとされているそうです。
これは、上方では浄瑠璃があったので、落語が人情噺を受け持つ必要性が
あまりなかったのではないかとも言われているそうです。
当時の時代背景なんかも感じれるおもしろい話しですね。
話しがズレてしまいましたが、
落語の「マクラ」という部分はおもしろいなと思いました。
マラクはお客さんが本題に入りやすい状態を作るためのものですが、
「話す」のではなく、「振る」とも言うそうです。
それは、マクラで「お客さんを振り向かせる」という意味でもあるそうです。
本題の内容が理解できるように説明をちょっとした噺と一緒にしてみたり、
こちらの方を振り向いてもらうために、相手を引き付けたりと
人を楽しませるための工夫が「マクラ」でもあるのかもしれませんね。
立川志の輔さんという落語家さんが「落語はアートとサービスの間だ」
というようなことも言われていますが、
これは、相手に合わせた関わり方を大切にするということでもあるのかもしれません。
お客さんに合わせて噺を変えてみたり、
分かりやすく説明することがあったりと
落語を見ている人に楽しんでもらいながら、
落語の良さも感じてほしいというそんな思いも感じるような言葉だなと思いました。
私自身、とんでもなく下手なのですが、そんな落語を
子ども達の前で披露することがあります。
落語の中にあるちょっとしたでも、大切なそんな思いを
大切にしたいなと思いました。
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