2015年2月1日日曜日

インターネット的

糸井重里さんという人がいます。
コピーライターでもあり、現在は「ほぼ日刊イトイ新聞」という、
様々なコンテンツが無料で読めるウェブサイトを運営されています。
1日のページビューが140万という有名サイトです。


そんな糸井重里さんの言葉、思いが好きで「糸井」と書いてあるものを
見るとついつい反応してしまうのですが、最近読んだ糸井さんの本で
「インターネット的」というものがあります。
これは10年以上前に書かれたものであるのに、今の時代を予見したことが
たくさん書いてあるとちょっとした話題になっているものです。
そんな本の中にこんな言葉がありました。


「文章がヘタなのに、面白い、ということが成り立つのがネット社会なんです。
チョーでもなんでも、その書き手が楽しくイキイキとした生活をしていれば、
書いたものは面白い。逆に文章に自信のある人が書いたものでも、
イキイキと生きていない人の文章は、つまらないです。
(中略)どう書くかよりも、どんなことを書くのかのほうに
面白さの栄養素は多く含まれています。」

また、
「インターネットそのものが何か素晴らしい魔法のわけではなく、
インターネットは人と人、人の考えや思いをつなげるだけですから、
これによって社会が豊かになっていくかどうかは、それを使う人が、何をどう思い、
どんな考えを生み出すかにかかっているのではないでしょうか。」


今、教育現場で一人一台タブレット端末を導入しているということを目にしたりします。
それは時代の変化でもあるので、悪いことではなく、
自然なことでもあるように思います。
ですが、それを持っていればいい、導入すれば何か素晴らしい効果があるということではなく、まず大切なのはそれを使いこなすことではなく、
糸井さんの言っている思いの部分ではないかと思いました。


「こんなきれいな花があったから、みんなに見てほしい」
「僕はこう思うんだけど、みんなはどうだろう」
「え?そんなおもしろいことがあるの!?」と思える気持ちがあってこそで、
タブレットやネットというツールはあくまでも、ツールであり、
それが全てで、それがあればいいということではないのかなとぼんやり思います。

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