2013年2月20日水曜日

いいきかせるように

2月24日の日曜日、東京マラソンの日が目前に迫ってきました。
ランニングを始めたのは2011年の9月からです。
ある程度「走る」ということを続けてきて、「走り方」
というのが少しずつ変わってきたように感じています。



僕の中でのランニングの基本であり、柱となっているのは
「走りたい時には走る」というシンプルなものです。
もちろん「ん〜今月は走っておいた方がいいんだよな」
という時はちょっと走りたくなくても走る時があります。
でも、基本は「走りたい時に走る」です。



じゃないと走るのが楽しくなくなるんです。無理に続けるものでもないし、
当然、誰かと張り合うものでもないと思っています。
走る目的がそっちに向いてしまうと本当におもしろくありません。
「なんで、走ってんの?」になっちゃうんですよ。
自分が「楽しい」だとか「気持いい」と思えるペースを
しっかり掴むことが大切なんだろうなと。



これ、案外、走ることだけじゃない気がするんです。
「あの人がやっているから」とか「世間的に注目されているから」という
自分ではない外に意識を向け過ぎて、自分ではなく、
世間の人の価値に意識を置いちゃうと、とたんに辛くなる気がします。
そうなるともうずっと満足できないことになってしまいそうで。



「あっちが気になるから、まだまだやるぞ!」、
「え?そんなことやってんの?くそっ!おれも!」で動いちゃうと
もう、ずっとそんな感じでしか動けなくなる気がして、怖くなります。



僕はどちらかといえばそういう動きで動く傾向がある人間だと
思っています。分かっていても、なかなかコントロールできないんですよね。
考えていることに自分をシフトさせるって本当に難しいです。
身体は本当に言うことを聞いてくれません。
「だったら偉そうに言うな!」と言われそうですね。
そうかもしれません。でも、ここで悶々と考えて、打ち込んでいくことで
どこか落ち着くことができたりもすんですよね。
だから毎回、だらだらとやってます。お許しを。



「もてはやされている価値は案外、自分の満足とは程遠いんだぞ〜」
と言い聞かせるのです。


2013年2月13日水曜日

はんなり

「はんなり」
一度は耳にしたことがあるかもしれませんね。
この「はんなり」、京都弁だそうで、
「落ち着いている」とか「華やか」だとか「上品」
なんて意味だそうです。



「はんなり」という言葉の響きがいいですよね。
なんだか柔らかくて、優しい印象を受けます。
で、この「はんなり」という言葉、京都では最近、
あまり使われていないそうなんです。



ある調査によるとこの「はんなり」、60歳では約65%の
人が使っているそうなんですが、10-20代になると10%に
まで減少してしまうそうなんです。京都の若い人は
「はんなり」、使っていないんですね。



でも、もしかしたら「使っていない」ではなくて、
「使うことがない」のかなと思ってみたり。
つまり「はんなり」が重要とか、価値あるとか
なんだかそういうものになっていないのかなと思ってみたんです。
って言ってしまうと否定的ですが、そうではなく、
昔は今よりこの「はんなり」を意識していたってことに
なるのかもしれません。




「ぐいぐい行こうぜ!」みたいなことが
今の流れなんですかね?(このあたりかなりざっくりな説明ですが)
これって「はんなり」だけのことではないんだろうなと思うんです。
言葉はその時代、時代の価値とか、大切にしていたことだとかを
反映しているのかもしれませんね。



じゃあ逆に、言葉を先に流行らせてしまう方法もあるのかな?
「はんなり」意識して使ってみましょうか?
「はんなり番長」、「はんりなり駐在所」、「はんなり役場」、
「はんなり公園前派出所」、「はんなり筋」
「はんなり横町」、「はんなりぱみゅぱみゅ」.....やめておきます。








2013年2月6日水曜日

長崎でのこと

先週、長崎で行われた「長崎見守る保育研究会研修会」に
参加させていただきました。
園見学、研修から自分の課題がたくさんできました。
それはこれからじっくり考えていくつもりです。
ここではその内容ではなく、他に印象に残ったことのお話を少し。



研修期間中、長崎の熱い男の園長先生方や
保育士さんとたくさんお話をすることができました。
長崎で出会ったみなさん、優しいんです。
受け入れてくれるんです。
「人格は子どもに伝わる」と言います。
子どもと関わる大人はその人格を高めなければいけません。
大前提として大切にしていかなければいけないことだと思っています。



そんなことを長崎で出会ったみなさんから
再度教えていただいたような気がしています。
優しくされたり、気遣ってもらうと人は
優しくなろうとするんですね。
いや、僕の場合は優しくない、
気遣えない自分が恥ずかしくなったのかもしれません。
「またあの人に会いたい」とか
そんなことを思ってもらえる人になりたいですね。



これ、身近な人に対しての思いです。
決して遠方の人だけに向けたものではありません。
いつも会う人でも、毎週、毎月、たまに会う人に
「会いたいな」と思ってもらえるようにです。



って言ってますけど、難しいんだよね〜。



あっ佐世保バーガー、おしかったです。



2013年1月30日水曜日

8:2からの

ちょっとした時間、立っていることがあるとしますよね。
もちろん長時間、立っている場合も同じなんですが、
立ち続けていると足がだるくなってきます。




で、そんな時どんな立ち方をしているのかというと、
僕の場合はだいたいどちらか一方の足に重心を置います。
感覚的には8:2という感じですかね。
片方の足に8もの負担がかかっていたら足もだるくなります。
よくよく思い出すと、立っている場合のほとんどで
片方加重という状況なんです僕。



とくに気にならない程度の時間なら片方加重でも問題ないんですが、
割と長い時間立っていようと思うと片方加重では
立っていられなくなります。で、どうするかというと
今度は逆の足に8の負担をかけてそっちも片方加重にしちゃう。
この繰り返しです。



なんでこんな立ち方をするんでしょうか…..
たぶん楽だからだと思うんです。
片方加重で立つのって楽なんですよ。
だからやってしまう。でも、長くは立っていられない。
なんなら膝も壊してしまうかもしれません。



だったらどうすればいいんだと。そうですよ。
両足に同じ負担をかけて5:5で立っていればいいんです。
なんなら股間あたりに1くらいの余裕を持たせることで
4.5:4.5くらいの負担で済ませることもできそうです
(分かりにくい感覚ですねw)。
そうすると結構長い時間立っていられるんです
(これ、中学生の頃に剣道の試合の手伝いで散々立ち続けるという場面で実践済みです)。
でも、そのかわり片方加重の時に比べるとちょっと面倒なんです。
意識しないといけないので。でも、その方が長く結果として
楽に立っていられるんです。意識するか、しないかの違いですかね。




そんな感じでいろいろなことに取り組めたらな〜と思います。
どうしても加重になってしまい、すぐに座り込んでしまう人間なので。
できれば座り込みたくないんです。



ポイントは1の股間の余裕ですかねw




2013年1月23日水曜日

たいさくはすいみん...

先日、職員同士で「自分の風邪対策」についての話し合いをしました。
みんなの風邪対策を「うん、うん」と頷いたり、
「へ〜!」なるほどな〜と思いながら聞いていました。
体調を崩さない人が多いんです。
で、途中で「睡眠時間」の話に。
…...みんなしっかり寝ているんですよね。
それが当たり前のように、しっかりと。





僕は体調をどちらかといえば崩しやすいんです。
で、思ったんですよ。
「あ!こりゃ原因(体調を崩しやすい)は睡眠にあるんじゃなかろうか」と。
僕は小さい頃から夜更かし…というか睡眠時間は短い方でした。
あまり寝なくても元気にやっていました。
もちろん、睡眠時間には個々に違いがあって当然です。
なので、僕はどちらかと言えば睡眠時間が短くていい人のくくりだと思っています。
そのつもりでずっと過ごしてきましたし。





でも、でもですよ。それでも最近は「ちょっと睡眠が足りないな」
と思うことが多くなってきたんです。
これって自分に合った睡眠時間の枠を超えちゃっているのかもしれません。
「おれはもともと睡眠時間は短いほうだし〜」という思いが、
だんだんと僕の睡眠時間を短くしていたんだろうと。
で、気づけば睡眠から得られる回復だとか免疫力だとかの
恩恵が減っていたのかもしれません。





僕らって結構な時間を寝て過ごしますよね。
時間に換算するとものすごい時間を睡眠にあてています。
そんな単純なことからも分かるようにやっぱり「睡眠」って大事なんですよね。よね?
しっかり寝ることで、良い体調を維持できるかもしれないなら、
これはやるしかないです。うん。やるしかない。




朝、「もっと寝ておけばよかった〜」が「たっぷり寝れた〜」になるように。 

2013年1月16日水曜日

だれかのために

「誰かのために」という言葉を最近、意識します。
自分が動いている動機が「誰か」つまり、「自分以外の人」の
ためになるようにと思っています。

お恥ずかしい話、これまでの自分を振り返ると「誰かのために」
という動機で動いていただろうか.....と。
どうも「自分のために」が僕が動く動機のかなりの部分を
占めていたように思います。

ちょっと考えただけでも、僕ではない「誰か」が僕という
「誰かのため」に動いてくださった出来事ってたくさんあるんです。
その「誰か」が僕のために動いてくださり、僕がそれに気がつかないで
過ごしてきた出来事もたくさんあると思うんです。

「誰か」にしてしまうとなんだか冷たい印象も受けるのですが、
明確に「あなたのために」という動機づけばかりではなく、
結果として「誰かのため」になっている動きを自然と
されている人もいて、それが僕という「誰かのため」になっている
ということもたくさんあると思うので、やっぱり「誰か」と
いう表現がいいのかなと思っています。もちろん「あなた」のために、で、
動いていくこともひっくるめて「誰かのため」にです。

どうも最近、自分の行動を振り返った時に「自分のために」で
動いていることが多いような気がしたんです。いや、多いんです。
なんだかそれに気がついた時に嫌な気分になったんです。
「なんなんだおれ」と。
だからといってそう簡単に、「誰かのため」にが「自分のため」に
を上回ることはできないんだろうと思います。お恥ずかしい話ですが
僕は今はそんなレベルなんだろうと思います。

でも、それでもやっぱり意識していかないといけないんです。
意識しないときっと、「自分の」ばかりに行ってしまうと思うんです。

自然に自分の行動が「誰かのため」になっている。なんて
のは崇高な領域なのかもしれませんが、「あなたのため」にが少しでも増えていくと
いいのかな。少しでも「誰かの」や「あなたの」が増えるように
過ごしていきたいなと思っています。


これが本当にできていないので...
これまで、わがままに生きてきたなと自覚しているので...




2013年1月8日火曜日

冬に夏のはなしを少し

冬ですね。寒いです。みなさん、冬は好きですか?
僕は冬が好きな方ではありません。「嫌い」っていう言い方はなんだか違うような気がするので、「好きな方ではない」とか「好きではない」とか「好きとは言えない」になるんですかね。分かりませんが。


「じゃあ好きな季節はあるのか?」って聞かれると、「はい!夏です」と答えることができます。僕は夏が好きです。そりゃ暑いですよ。「勘弁してよ、この暑さ〜」と思うこともありますが、やっぱり夏が好きです。



「なんで夏が好きなの?」と聞かれると、それも答えることができます。まず、青々と生い茂る植物がいいんです。それに、大勢で鳴いているセミ、一夏を懸命に生きる昆虫もいいですよね。で、結局、何かっていうと「イキイキしている」が僕の夏が好きな理由だと思っています。木々や草花は太陽に照らされ、美しい姿を見せてくれます...「イキイキしている」気がします。虫たちはエサやパートナーを求めて飛び回り、動き回っています…「イキイキしている」ように見えます。そんな姿を見て、僕もなんだか「イキイキ」したり、うかれちゃったりします。夏って多くの人がうかれている気がしませんか?それを見るのも好きなんです。



と、なるとなんで、冬が好きになれないか…..僕の勝手なイメージでなんですが「イキイキしていない」気がするんです。もちろん、冬にだって草木や生き物は生きています。その目立たない「イキイキ」を探しなよ!と言われれば、返す言葉はありません。冬だって良い所はあります。寒い中の焚き火なんて、最高です。冬には冬の良さがあります。それは分かっています。でも、僕はずっと夏を待ち遠しくしながらいつも冬をすごしている気がします。



大昔の人間にとって冬は恐怖だったんだと思うんです。食料や寒さの問題もあったのではないでしょうか。きっと、僕にはその恐怖の記憶がどこかに残っているのかもしれません...なに言っているんですかね。



どんな季節にもいい所はたくさんある。でも、今は夏が好きなんですよね。もう少し歳を重ねるとその考えも変わっていくのかな?それは、それで楽しみでもあるんですけどね。

(追記  これ、なんの話なんでしょうか?読み返して、恥ずかしくなってしまいました。意味が分からない...でも、もともと意味のあるこのなんてこのブログにはないんですが、それでも「だから、なに?」って言いたくなりますよね...恥ずかしいですが、残しておきますw)