2015年8月16日日曜日

月照寺


松江市にある月照寺を訪れました。
月照寺は松江藩主を務めた松平家の廟(死者を祀った場所)が納められているお寺です。
とても広い敷地で、境内には初代から9代までの藩主の廟が並んでいます。
もともとこの場所には洞雲寺(とううんじ)というお寺があったそうなのですが、長い間荒廃していました。その洞雲寺を初代藩主の松平直政が生母である月照院の霊碑安置所としてこの寺を再興し、月照寺としたそうです。
ちなみに松平直政の祖父は徳川家康にあたり、大阪の陣で活躍した直政はその戦功を家康に褒められ、家康の打飼袋(うちがいぶくろ)を与えられます。この打飼袋(所持品を入れて腰に巻きつけるもの)は月照寺にあるそうですよ。



月照寺の門をくぐって正面にみえるのが7代藩主松平治郷の廟になります。
治郷は不昧公(ふまいこう)とも呼ばれ、茶人としての才能を開花させ、
不昧流という独自の茶道の形をつくります。


この不昧公は財政が困窮する藩を農業製作や治水工事、倹約令などで立て直すのですが、さすが茶人の不昧公、とんでもない額の茶器をいくつも購入したために、
藩の財政は再度悪化していったそうです。
実際に改革を行ったのは不昧公ではなく、不昧公自身は政治に口出ししなかったために、それが原因ではとも言われていますが、
なかなかお殿様にはこのあたりの感覚というのは分からなかったのかもしれませんね。
それを是が非でも止めるという人もいなかったのかもしれませんね。


次に6代藩主むねのぶ公の廟所にいくと、大きな亀の石像が目に入ります。
この大亀の石像を見るために月照寺を訪れたというのも一つの理由です。
この大亀はむねのぶ公が50歳の時に、息子である不昧公が父の長寿を願って建てたものだそうです。そして、この石像には様々な伝説があり、その一つがあの小泉八雲の「知られざる日本の面影」という随筆に登場します。



伝説では、この大亀、夜になると動き出し、池の水を飲んだり、城下町にくりだし人々を食べていたとされています。困った住職は夜中に大亀に対して説法をします。すると大亀は自分でもこの奇行を止めることができない、あなたに任せますといって涙を流したそうです。そこで、亡くなった藩主の功績を彫り込んだ石碑を大亀の背中に背負わせて、この地に封じ込めたのだそうです。
この大亀の石像、近くでみると迫力があり、
爪もするどく凶暴さを感じるような姿をしています。夜中にこんな大亀と出会ったらどうすることもできないかもしれませんね。


話は変わって、松江の地ビールも手に入れました。
松江地ビール「ビアへるん」というものですが、これは英語教師として松江に赴任してきた小泉八雲のことを地元の人々が「へるん先生」と呼び親しんでいたことからこの名前が付けられそうです。


また、このビールを製造する島根ビール株式会社のHPを見てみると、『日本という国を広く世界に広めたへるん先生にあやかり、日本に広まり、そして世界にも広まって多くの方々に飲んで欲しいという想いを込めて「ビアへるん」と命名致しました』とありました。また松江藩は幕末にすでにビール会社を経営していたそうです。

知らないことをたくさん知れた時間になりました。



2015年8月9日日曜日

徹夜と同じ?

スマートフォンやパソコンが普及したことで、
様々なニュース記事を見かける機会が増えたように思います。
本当にたくさんの記事があるので、
「え?それ本当なの?」というものもありますが、
全ての情報を鵜呑みにせずに、自分にとって必要な情報は
なんなのかをしっかり見極める力も大切になってくるのかもしれませんね。


「6時間以下なら徹夜と同じ?睡眠時間と作業効率の関係」
という記事を目にしました。
ペンシルベニア大学とワシントン州立大学で行われた実験では、
1日平均7〜8時間睡眠をとる男女を48名集め、
4つのグループに分けたそうです。
1組目には3日間眠らずに過ごしてもらい、それ以外のグループには
4、6、8時間とそれぞれ決まった睡眠時間をとって生活してもらったそうです。


その結果、14日間の実験期間中、認知機能、注意・運動神経ともに全く低下しなかったのが、8時間睡眠をとったグループで、一方で4時間と6時間グループは
日を追うごとに着実に身体機能が低下していったそうです。
その理由の1つが、寝不足の累積です。
寝不足が累積され、1週間経つ頃には、6時間睡眠のグループは1日中、
睡魔に襲われながら過ごすようになったそうです。
そして、2週間後には6時間睡眠のグループは2日間徹夜で過ごした
グループと同じレベルまでパフォーマンスが低下しました。


また、寝不足が進んでいくと認知、注意、運動神経などの能力が、
日に日に低下していったのですが、そのことを自分自身では気がつくことが
できなくなっていたそうです。


6時間睡眠でもこのような結果になるというのはちょっと驚きでした。
6時間睡眠を2週間続けけると2日間徹夜をしたのと同じような
状態になるというのも驚きました。2日間寝てない状態って相当
しんどいですよね。
この結果を知ると、睡眠時間の少ない状態を続け週末に向けて
疲れが増していくという感覚の正体がなんとなく分かるような気がします。
睡眠が正常に行われないことで、心拍数や血圧にも影響があり、
免疫力も弱くなり、感染症にもかかりやすくなると言われます。
ついつい夜更かしをしてしまうこともありますが、
しっかり眠ることをもっと大切にしたいですね。


ですが、睡眠時間もそれぞれの人によって違うと思います。
6時間で十分足りている人もいるかもしれません。
あまり時間ばかり気にすると「あ、こんな時間だ。早く寝ないと」
と、かえってストレスを溜めてしまうことにもなってしまうかもしれません。
自分の体に合った睡眠時間を知ることもまた大切になってくるのかもしれませんね。

2015年8月2日日曜日

竜馬がゆく

「竜馬がゆく」をやっと全巻読み終わりました。
読み始めた頃は長い物語を読むことになるぞ、
というどこか気合いのような思いがあったのですが、
読み終わりが近づいてくると妙な寂しさを抱くようになっていました。
そして、読み終わるとやっぱりどこか寂しくなっている自分がいました。
なんだか竜馬とお別れをしたそんな気分にでもなっているのかもしれません。
もちろん、会ったこともないのですが、不思議な感覚ですね。


「竜馬がゆく」は司馬遼太郎が書いた全8巻からなる歴史小説です。
小説ですので、必ずしも事実ばかりではないのですが、
読むことで坂本龍馬の人生、成したことなどを知ることができました。
竜馬がゆくを読むまでは坂本龍馬に関する詳しいことはほとんど知らなかった
僕にはこの本で知ったこと、感じたことがたくさんありました。
龍馬だけではなく、幕末のこともほとんど知らなかったのですが、
読む前より格段に幕末、明治の時代について知りたくなっている自分がいます。
それもこの本を読むことで得られた嬉しいことでもあります。


そんな「竜馬がゆく」なのですが、
読んでいて竜馬の為人、性格を感じる文章がいくつかありました。
そんな竜馬の人柄から学ぶことがたくさんあったので、
いくつか紹介してみたいと思います。


「竜馬も、ニコニコした。その笑顔がひどく愛嬌があり、
(おお、みごとな男じゃ)と西郷はおもった。
漢は愛嬌こそ大事だと西郷はおもっている。
鈴虫が草の露を慕うように万人がその愛嬌に慕い寄り、
いつのまにか人を動かし世を動かし、大事をなすにいたると、
西郷はおもっている。
もっとも西郷の哲学とは愛嬌とは女の愛嬌ではない。
無欲と至誠からにじみ出る分泌液だとおもっている」


「竜馬は、議論しない。
議論などはよほど重大なときでもないかぎり、
してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉を奪うだけのことである。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、
負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである」


「人間に本来、上下はない。
浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。
天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。
事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ」


『なるほど日本の危険をすくうために徳川幕府は倒したい。
しかしそのあとに樹立される革命政権の親玉になるなどは、竜馬はまっぴらである。
「おれにはもっと大きな志がある」「どんな?」
「日本の乱が片づけばこの国を去り、
太平洋と大西洋に船団をうかべて世界を相手に大仕事がしてみたい」』


少しではありますが、
これらの竜馬の言葉や、竜馬に対する見方を知ると
坂本竜馬ががどんな人物であったかのかを
この小説での竜馬を通して想像することができ、
より坂本龍馬という人を知りたくなります。
そして、この小説の中での竜馬の姿からは人としての大切さも教えられるようでもありました。


その中でも西郷が竜馬をみて思った
「無欲と至誠」には考えさせられます。
欲をそぎ落とすことで、満たされない思いは消え楽に生きられるようになり、
至誠(誠実)を持つことで、
自分が成し遂げたい思いに向かって進んでいけるのかもしれません。
無欲と至誠、生活でも仕事でも
どんな場面でも大切にしたいことだなと思いました。











2015年7月26日日曜日

足立美術館

行ってみたいと思っていた「足立美術館」に足を運べることができました。
足立美術館は米国の日本庭園専門雑誌が行っている日本庭園ランキングで12年連続で庭園日本一に選出されているということだったので、一度は訪れたいと思っていました。
足立美術館は地元安来市出身の足立全康氏が1971年に開館したものになります。
全康氏は実家の農業を手伝いながら村の商売の手伝いをしていくうちに、商売に深い関心をよせるようになり、14歳の頃、炭を運搬する傍らそれらを売ることで初めて商売を手がけることになったそうです。
そこから商才を発揮し、一代で財産を築いたそうです。
商売に向いている人というのはやっぱりいるのですかね。商売が好き、興味があるということなのかもしれませんが、僕にはあまり縁のない世界かなと今のところは思ったりします。


広大な日本庭園は「枯山水庭」「苔庭」「寿立庵の庭」「白砂青松庭」「池庭」「亀鶴の滝」の6つに分かれていて、面積は5万坪にもなるそうです。庭園に置かれている庭石や松などは全康氏が自ら全国を回り探してきたそうです。
開館の時の年齢が71歳だったことを思うとかなりアクティブな人だったのかもしれませんね。僕もいつまでもそのような気持ちは持っていたいなと思います。
庭園は専属の庭師やスッタフの方が毎日、手入れや掃除をしているそうです。
「庭園もまた一幅の絵画である」という言葉を全康氏が残していることからも、庭園を美しく維持することを大切にしていることを感じます。



「枯山水庭」
この枯山水庭は後ろの山も庭に取り込んだ借景を用いた庭園になっています。この写真の右側に「亀鶴の滝」があるのですが、なんとその滝は人工の滝なのだそうです。全康氏が「この庭には滝がいる」というようなことを思いついたらしく、ついに滝まで作ってしまったそうです。いや〜おもしろい方ですね。好きなものを極める姿勢は見習いたいですね。

「苔庭」
この苔庭ですが、樹木は全て斜めに植えられています。これは、樹木はもともと山の斜面に育ったものであるので、まっすぐに植えると樹木にとって負担であるという考えに基づいているそうです。



「池庭」
この池庭の池には鯉がたくさん泳いでいます。僕はこの庭が一番好きかもしれません。鯉の泳ぎを見ながらずっと見ていられる庭です。この庭は和風の庭と洋風的な建物との調和を考えた和洋折衷な庭になっています。



 「白砂青松庭」
 ここは横山大観の「白沙青松」が持つ清澄なイメージを庭園に表現したものになるそうです。

少し離れた所にある床の間に壁が切り取られた額のようなものがあり、そこからこの「白砂青松庭」を見るとまさに額におさめられた絵画のように見えます。「庭園もまた一幅の絵画である」という全康氏の言葉が聞こえてきそうですね。



そんな庭園を見ながら一息つける喫茶店があったり、おいしい食事が食べれるレストランがあったりします。とても贅沢な空間ですよ。


庭園だけはなく、美術館の中には日本画がたくさん収められていました。横山大観の絵画の横に全康氏のコメントがあるのですが、横山大観が大好きすぎてその作品をどうしても手に入れたかったという気持ちがにじみ出ている、なかなかおもしろいコメントの数々でそれを読むのもひとつの楽しみでもあるかもしれません。
あ、この美術館で同級生が働いていたのには驚きました。
とってもよくしていただき、感謝です。
また、秋に行ってみたいな〜。




2015年7月19日日曜日

外様

江戸時代などの大名の種類に
親藩(しんぱん)、譜代大名(ふだいだいみょう)、外様大名(とざまだいみょう)
というものがあります。
かなりざっくりな説明ですが、
親藩は将軍の親戚にあたる大名、
譜代はあの関ヶ原の戦いの前から徳川家康と仲良くしていた大名、
外様は関ヶ原の戦い以降、徳川家康に従った大名という感じになります。


どの大名も天下統一を成し遂げた徳川の部下のような存在になる訳ですが、
幕府があった江戸の周辺には親藩や譜代大名が置かれます。
親藩や譜代は幕府にとってはそれなりに信頼のおける
存在だったということになりますね。
親戚や、ずっと仲良くしていた関係だったので、
それもそうですよね。
しかし、外様大名は九州や東北、四国といった江戸から離れた
土地に配置されました。
仕方ないですよね。外様大名はもともとは敵という感じだったので、
仕方ないですよね。
しかも、外様大名と外様大名の間には譜代大名などを配置することで、
外様大名同士の連携をできないようにもしていたそうです。
仕方ないですよね。敵だったんですから。
天下統一したとはいえ、幕府も外様大名のことは警戒していたと思うので、
仕方ないですよね。


でも、なんだか、そんな外様大名のことを思うと、こう、なんていうのか
ちょっと同情というか、
おもしろくなかっただろうなと思ってしまうんです。
ずっと幕府に対する恨みというか、
あまりよくない思いをずっと抱いていたんじゃないかなと思うんです。
だって、きっと
ほかにもいろいろな不利なことを要求されたり、
させられたりしたんじゃないかなと思ったりするんです。
いや、仕方ないことなんですよ。
それはもう、仕方ないことなんです。
でも、なんだかそんな外様大名の気持ちを考えちゃったんです。
きっとそんな気持ちが後々に爆発していくのかもしれませんが、
あまり詳しくないので、なんともいえませんね。


「外様」という字もまたなんともですよね。

2015年7月12日日曜日

ライブ感

先週の7月4日にサザンオールスターズのライブのため福岡に足を運んでおりました。
生憎の雨模様だったのですが、そのためか気温も低く、動き回るには
涼しいくらいの天候でもありました。
歩き回っているとさっそく福岡市のマンホールに出会いました。


どういう意味のデザインなのか分からなかったので、調べてみると福岡市は平成2年に
下水道普及人口100万人を突破したことを記念して「下水道普及のイメージアップと
市にふさわしい個性的なデザイン」というテーマで公募し、鳥、ヨット、街並みなどの抽象的なデザインの組み合わせが「人の都・アクティブな福岡市」を連想させるということでこのデザインが採用されたようです。
写真のデザインは耐スリップ性能を向上させるために少しデザインを変更したものになるそうです。




そして、ライブなのですが、もう言うまでもなく(言いますが)最高でした。
やっぱりライブは何度行ってもいいですね。ライブ感というのでしょうか、
他の観客の方々と一緒になって歌う、体を動かす、手を叩くこと、その場を共有することで、感情が一体化するというのでしょうか自分の感情はみんなの感情でもあり、みんなの感情が自分の感情でもあるというような不思議な体験をすることができました。

原坊のダンスの場面、スーパーマンの場面、ピースとハイライトの場面という3箇所でなぜだか涙が出てきました。
桑田さんも59歳です。来年の2月で還暦を迎える体でありながら3時間半歌い続ける体力には圧倒させられました。
もっと楽しんでみなよ、もっと挑戦してみな、悩むことなんかない。なんていういろいろな感情を受け取りました。


そして、帰りにこれをたらふく食べました。







2015年7月5日日曜日

じっくり味わう絵巻②

妖怪を描いた絵巻「百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)」も
見ることができました。
この絵巻には獣が化けた物や、付喪神(つくもがみ)という使い古された道具の妖怪たちが羅列して描かれている様子が行列のようだからということで、百鬼夜行絵巻と呼ばれています。現物の写真がなくて分かりにくいですが、ここに描かれた妖怪たちはとても可愛らしく?怖いや不気味というより、どこかキャラクター性を持った描かれ方をしていて、
ちょっと昔でいう所のポケモン図鑑を見るようなおもしろさもありました。



具体的に見ていくと、笠の妖怪、糸巻きの妖怪、小槌の妖怪、破れうちわの妖怪、巾着の妖怪、櫂(水をかいて舟を進める道具)の妖怪、茶釜の妖怪など様々でした。
今の子どもたちにとっては、馴染みのない道具も多いですが、見たことやまだまだ使っている道具もありますね。また、この絵巻から昔はこんな道具を使っていたんだなと知ることもできるかもしれませんね。


以前、九州国立博物館に行った時に「針聞書(はりききがき)」という体にいるとされる虫の図とその治療法などが書かれた展示物も見ました。
馬カンという心臓にいるとされる虫や肺虫という肺にいる虫などがユーモラスな表現で描かれていて、とてもおもしろかったのを覚えています。
          (馬カン)        (肺虫)

かつての人は目に見えない存在をこのようにユーモラスたっぷりに表現していたのですね。それは遊び心もあるのでしょうが、それと同じくらい真面目に想像していたのではないかと思います。そして、それは世の中は様々な存在が混在しながら成り立っているという感覚も感じていたからではないでしょうか。この自分だけが自分の中心ではない、世の中の中心ではないという感覚はとても大切なことなのかもしれませんね。





(八雲の図の実物大)





常設展の中にはこのようなものもありました。相撲の始まりは出雲の野見宿禰(のみのすくね)と大和の当麻蹴速(たいまのけはや)が力くらべをしたことによるそうです。
当時松江藩は強豪力士を独占したようで、あの雷電為右衛門も松江藩お抱えの力士だったことは有名ですね。この手形もある力士の十歳の大きさのものだそうです。手を合わせると「どすこい!」なんて声を発するのでちょっと恥ずかしいのですが、そのあまりの大きさに驚いてしまいました。
当時の強豪力士を少しでも感じることのできる展示で、参考にもなりました。


お昼はこのようなお庭が見えるカフェで食事をすることもできます。




またそこでは、「四隅突出型墳丘墓」カレーというなかなか遊び心満載のカレーも頂くことができます。四隅突出型墳丘墓とは弥生時代中期以降に山陰地方や各地で作られたもので、その名の通り四隅が突出した形のお墓になります。これをカレーにするセンス、またスプーンが「発掘でもしてください」というようなスッコプ型というのもなかなか粋ですね。
ちなみに、あの島根の吉田くんで有名な蛙男商会制作の「古墳GALのコフィー」というフラッシュアニメに四隅突出型墳丘墓のダニエルくんというキャラクターも登場します。