何度もこの美術館の前は通っていたのですが、中に入るのは初めてでした。
そして、美術館に行くのも本当に久々でした。
僕が訪れた日は「日本洋画 珠玉のコレクション」という期間中でした。
画家さんのことも絵のこともよく分からないのですが、
数々の日本洋画を見ている中で、「おお!」と
惹きつけられる作品がいくつかありました。
その一つに「熊谷守一」さんの作品がありました。
「瓜」というタイトルで、丸いお皿の上に大小の
4つの瓜らしき丸みをおびた物体が置かれているような、
立っているような格好で、描かれてありました。
ものすごくシンプルな絵で、その絵の前で、足が止まりました。
どうしてこんな絵を描かれたのだろうということが気になり、
そして、熊谷守一という人のことが気になりました。
熊谷守一さんは岐阜県に生まれ、幼い頃から絵が好きな少年だったそうです。
裕福な家の生まれだったのですが、芸術家気質で、貧しい生活を送っていたそうです。
42歳で結婚し、5人の子どもに恵まれるも、絵が描けずに、
貧しい生活は続いたそうです。
子煩悩ではあったそうですが、貧しい生活のため、
3人の子どもを失ってしまいます。
晩年は現在の豊島区に小さな家を建て、30年近く
ほとんど外出せずに15坪ほどの庭の自宅で虫や花を描いて暮らしたそうです。
また、芥川喜好さんという方が読売新聞日曜版「絵と人のものがたり」の中で、
熊谷さんのことをこう語っています。
『異母兄弟の多い複雑な家に生まれ、
大人のふるまいを見て育った熊谷は
「もう小さい時から大人のすることはいっさい信用できないと、
心に決めてしまったフシがあります。」
と言っていた。
「そのころから人を押しのけて前に出るのが大きらいでした。
人と比べて、それよりも前の方に出ようというのがイヤなのです。」
とも言っていた。』また、
『何年も題材をあたため自信をもって出品した作品が、門前払いをくった。
これから評価を固めようという時期に
田舎に帰ったのはそんな美術界への失望ゆえではないか、
という見方も最近はある。
そうした日々を通して、熊谷は自分の信ずべきものを見きわめ、
信ずるに足らぬものを遠ざけ、
心の通うものだけで生きるスタイルをおそらく築いていった』
晩年、自宅からほとんど出ることのなかった、熊谷さんは
夜に絵を描き、昼間はほとんどの時間を庭で過ごしたそうです。
花もあり、虫もいるそんな空間は現実とは違うまた別の世界
だったのかもしれません。
複雑な家庭で育ち、人や社会に対しても失望した熊谷さんの
気持ちはどのようなものだったのでしょうか。
ですが、そんな状況でも、庭という自然に別の世界を
感じることで、気持ちが安らいだのかもしれないなと勝手に想像してしまいました。
晩年、自宅からほとんど出なかったとありましたが、
きっと出れなかったというより、出なくてもよかった
のかもしれません。庭という世界が熊谷さんにとっての現実だったのかもしれません。
僕たちも道に咲く花、茂る緑、小さな生き物を見て、
気持ちが安らぐことがありますよね。
きっと、それは人間社会だけではない、もう一つ別の
世界の存在を感じるからなのかもしれませんね。
(ピカソの絵のポストカードと名画ぬり絵を買ってみました)
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