2015年5月31日日曜日

生物多様性

少し前の話しになりますが、5月22日はある記念日でした。
それは「国際生物多様の日」というものです。
生物の多様性が失われつつある現状、
またそれに感じる諸問題の認知を広めることを目的に制定されました。
また、国連ではこの日に植樹を行なおうということも呼びかけているそうです。


そんな生物多様性ですが、まだまだ一般的な言葉ではないようで、
どんなものかイメージするが難しい面もあるのかもしれません。
養老孟司さんの「いちばん大事なこと」という本の中にはこのように書かれてあります。





まず、なぜ、生物多様性を保護する必要があるのか、「時計を分解するのは簡単だが、もう一度組み立てろと言われたら、まず不可能であろう。人体となれば、いったん壊したものをもとに戻すのは、不可能である。システムは複雑なものだが、それを破壊するのは極めて簡単なのである。他方、システムを作り上げるのは現在までの人間の能力ではほとんど不可能である」とあるように生物が作り上げている巨大で複雑なシステムを破壊した場合、もとに戻すということはほとんど不可能ということになります。


また、絶滅種の話しでは、「絶滅しそうな生物を保護しても、自然というシステムからはすでに切り離されている。自然というシステムから見れば、絶滅しているのと同じことである。絶滅したって困らないと考える人もいると思う。こういう発想が出てくるのは、ある生物が絶滅しても、それが自分にどう跳ね返ってくるか、見えないからである。自然というシステムはたくさんの生物が影響しあって微妙なバランスを保っている。だからそれが欠けた時にどんな影響が現れるかは、よく分からない。これを逆向きにいうと、システムを構成する要素は、システムを維持するためにいつもなんらかの役割を果たしている可能性があるということになる。だからシステムの構成要素をいたずらに減らすことは慎むべきなのである。自然がシステムであると分かれば、ある生物が別の生物よりも大切だとか、この生物は要らないという発想は出てこない。どの生物も生きていることが大切だと分かるはずである」


本の内容を中略してまとめているので、
意味が分かりにくい部分があるかもしれませんが、
生物多様性とはどういうもので、なぜそれが大切なのかが、
修復不可能なシステムであることからも感じれます。
また絶滅の話しでもありましたが、
生物多様性を構成する生物に優劣がないということも大切な部分であるように思います。
これはきっと人間社会でも同じことではないでしょうか。
どの生物も生きていることが大切で、
大きなシステムの一部を担っていると
思えることで、生物だけではない、
人への関わり方も変化が生まれるように思えてきます。
私も含め、個人が大きなシステムを担っている一部だという感覚は今の時代、
薄れている部分でもあるのかもしれません。
生物多様性を考えることは、私たちの生き方にも影響してくるのかもしれませんね。

2015年5月24日日曜日

マンホールの蓋

様々な場所を訪れると、その土地によってマンホールの蓋のデザインが
違うので、おもしろいなとついつい目がいってしまいます。
いくつか写真に撮っているものもあったりします。
そんな、マンホールの蓋なのですが、今日、近所を散歩していて、
自分が住む町にある蓋のデザインを見た時に、
マンホールの蓋のデザインって誰が決めているのだろう?と疑問が湧いてきました。


まず、現在の蓋の原型は明治から大正にかけて東大で教鞭をとると同時に、
内務省の技師として、上下水道の指導をしていた中島鋭治さんという方が
東京の下水道を設計する時に西洋のマンホールを参考に考案されたそうです。

ちなみにマンホールという言葉はman(人)、hole(穴)を組み合わせたものだそうです。
丸い形は蓋が穴の中に落ちないためであったり、
穴が開いているのは大量の雨水が管内に流れ込んできた時に、空気の逃げ場がないと
蓋がとんでしまうから蓋には穴が開けられています。
また、蓋の表面には車などが滑るのを防止するための凹凸があります。


で、デザインなのですが、昭和30年代に入って、大阪市や神戸市などが
独自の市型模様を定めて使用してきました。同時に構造などの開発に
当たった製造メーカーを中心に独自の模様が考案され、広まっていったそうです。
そこから昭和60年代に入り、当時の建設省公共下水道課建設専門官が
下水道事業のイメージアップと市民アピールのために、各市町村が独自の
オリジナルデザインマンホールにすることを提唱したことから、
デザイン化が進んだそうです。
下水道事業のイメージアップということから始まったのですね。
デザイン決定には、一般公募や役所の職員が考えたり、メーカーが考えたり
するものもあるようです。


下水道事業のイメージアップということから始まったのですね。
その後、デザインを競うコンテストのようなものも行なわれるようになり、
どんどん、デザイン化が進んだようです。


また、おもしろいのがマンホールのデザインに要求されるいくつかの点があるようです。

①飽きがこない
モチーフを生かした幾何学的模様など、長期間の使用に
耐えるデザインであること。


②非方向性
一方向だけから見た場合に、意味のわかるデザインでな
く、極力方向性のないデザインがのぞましい。

③耐久性
長期間の間に模様が磨滅されるが、磨滅による味わいがでるようなデザイン。

④素材感
鋳物の重量感、暖かさを感じるデザイン。

⑤地域個性
単純発想でなく、表現工夫がなされたデザイン。

⑥スリップ防止
道路と同等の走行性を持たせ、安全性を配慮したデザイン。


このような視点で様々な場所のマンホールを見るとまた違ったおもしろさを
感じれるかもしれませんね。他の地域のマンホールのデザインも気になってきました。
しかし、デザインもいいのですが、近年ではデザインを重視するばかりに
スリップを防止するという安全性が忘れられているものも見られるそうです。
デザインの素晴らしさももちろん大切ですが、
それは本来の目的があってこそなのかもしれませんね。
私自身もしっかりとそういう部分を大切にしないとなと
マンホールのことを調べていて教えてもらいました。

2015年5月17日日曜日

黄泉比良坂

先日、「黄泉比良坂(よもつひらざか)」という場所を訪れました。
この場所は日本書紀において、あの世とこの世の境界の場とされている所です。
「ひら」は崖を意味するとされているそうです。





どうして、この場所があの世とこの世の境界なのかといいますと、
男神イザナギと国造りをした女神イザナミが火の神である迦具土神(かぐつち)を
産んだために亡くなってしまいます。
イザナギは悲しみ、黄泉の国に行き、イザナミに会おうとします。
そして、イザナミに一緒に帰ってほしいことを伝え、イザナミは黄泉の国の神々に
相談しようとします。その間、私の姿は絶対に見ないでほしいと
イザナギに伝えます。しかし、なかなか帰ってこないイザナミだったので、
イザナギは周囲を照らし、辺りを見てしまいます。
すると、そこには体が腐敗したイザナミの姿があったそうです。
イザナギはそれを見て、逃げるのですが、イザナミは鬼女をつかって
追いかけます。しかし、鬼女はイザナギが投げた葡萄や筍を食べるのに忙しく
なってしまい役に立ちません。すると次は雷神や鬼の軍団を送りこみます。
そして、イザナギはこの黄泉比良坂まで、逃げ帰り、そこにあった
桃の実を投げ、追ってを退けます。


最後にはイザナミが追ってくるのですが、イザナギは千引(ちびき)の岩を
黄泉比良坂に置いて、道を塞ぎます。



なんだかちょっと怖い話ですね。
この話にはまだ続きがあって、
黄泉の国から帰ったイザナギはけがれを落とすために泉でみそぎをします。
その時に左目から生まれたのが天照大神で、
右目から生まれたのが月読命(つくよみのみこと)で、
鼻から生まれたのが須佐之男命とされています。
ということで、この黄泉比良坂は神話のルーツではないかとも言われています。
ですので、黄泉の国を根の国する説があり、これが
「島根」由来になったのではないかとも言われているそうです。


まだまだ多くの神話が残されていますが、
この神話というのは不思議ですね。
真実なのか、作られた話なのか。
神話はこの世界の成り立ちの話でもあるように感じます。
かつての人々のこの世界を知りたいという思いでもあるのかもしれませんし、
そよりももっと前から語り継がれてきた真実でもあるのかもしれません。
何が嘘で、何が本当ではなく、
私たちが生まれる前には当然ですが、たくさんの人々がいて、
そんな人々の思いや、時代がこの神話に込められていることを
考えると、想像の話という解釈ではない、
人の歴史を感じるようでもありますね。




2015年5月10日日曜日

京都

祝日を利用して、京都へ旅行へ行ってきました。
今回は新幹線に乗りたいという気持ちも強かったので、広島から京都まで
のぞみに乗り、1時間50分ほどの新幹線も楽しみました。

まず向かったのは平等院鳳凰堂です。少し前に読んだ本にこの平等院鳳凰堂と
極楽浄土について書かれてあったので、
ぜひ見てみたいと思ったので行ってみることにしました。




次に訪れたのは「寺田屋」です。竜馬がゆくを読んでいる私にとっては
かなり気持ちの高まる場所でした。
寺田屋といえば有名なのが、坂本竜馬が暗殺されかけた場所ということですね。
夜中に京都伏見奉行の者たちが寺田屋に踏み込み、竜馬を暗殺しようとしますが、
竜馬は拳銃などで応戦し、なんとか逃げ切ります。
その弾痕や刀痕が寺田屋には残っていて、なんとも竜馬を感じる場所になっています。
しかし、どうも本物の寺田屋は鳥羽伏見の戦いで燃えてしまっているというのが
事実なようで、現在残っているものは後に再建されたもののようです。
でも、いいのです。気持ちが大切ですから!


(表札に寺田屋 坂本龍馬と書いてあるのがなんともユーモアを感じます)


そして、次の日は竜馬のお墓にも行ってきました。
坂本竜馬の墓は京都にあり、維新の道というなかなかの坂道を上がった先にある
東山霊山という場所にあります。ここには霊山護国神社があるのですが、
そこには1043名もの維新志士たちが弔われていて、その中には今、大河ドラマにも
登場している、高杉晋作や桂小五郎、久坂玄瑞の名前もありました。


 竜馬の隣には一緒に近江屋で暗殺された中岡慎太郎も弔われています。
竜馬の墓からは京都の町を眺めることができます。京都の町を見ながらか眠って
いるのかもしれませんね。 


近くにあった霊山歴史館にも行きました。幕末で活躍した人々の紹介や
展示もあり、かなり楽しめました。



最後に訪れたのは「建仁寺」です。
建仁寺は1202年に源頼家によって創建されたお寺です。
お寺の中は撮影自由ということでした。これは嬉しいですね。
入ってすぐ、あの有名な「風神雷神図」がありました。
たっぷりととられた余白が広い空間を暗示し、風神雷神のダイナミックさを
引き立てているそうです。複製らしいのですが、
その迫力はかなりなもので、ずっとその前で座っていてもいいようなそんな気分にさせて
くれました。


庭もかなりきれいでした。

そして、一番見たかったのがこの双龍図です。大きな天井一面にこの龍の絵が
描かれているのはなんとも圧巻です。龍は仏教を守護する八部衆(仏法を守護する8神)とされ、「龍神」とも言われているそうです。そのため、多くのお寺では
法堂という大衆に仏法を説く場所に描かれているそうです。これは龍が水をつかさどる
ことから「火災から守る」という意味が込められているそうです。
建仁寺のこの龍は2002年に創建800年を記念して描かれたものです。


1泊でしたが、とても楽しめました。





2015年5月3日日曜日

こころ旅

NHKのBSプレミアムで「にっぽん縦断 こころ旅」
という番組を放送しています。
火野正平さんが、視聴者の方から寄せられた手紙に書かれた
「こころの風景」を訪れながら、自転車で日本を縦断する番組です。


朝は7:45~8:00の朝版というのを放送していて、夜は19:00~19:29の
とうちゃこ版というのを放送しています。
僕はもう、この番組がたまならく好きなんです。


自転車で走っている正平さんを後ろから撮っている画、
天気の悪い日には天気の悪い画、
天気がいい日は天気のいい画、
移ろう自然を感じる画、
街中で人が話している音、
自転車をこぐ音、ギアチェンジをする音、
鳥がなく音、
雨の音、風の音、
正平さんの独り言、鼻歌、咳をする音、
不必要な音もなく、不必要なテロップもなく、
正平さんが走っている姿、走っている場所の音や映像が
しっかり伝わってくるんです。


風景ももちろんなのですが、そのままの正平さんが
またいいんです。
興味、関心が湧くものを見ると、立ち止まる正平さん、
動物にもどんどん近づいたり、食べれそうな物を見つけると
食べてしまったり、
若い女の人は必要以上に話しかけるのに、
おばちゃんには全く興味がなかったり、そんな正平さんを
見るのもまた楽しいんです。


この番組を見ていると、涙がでてしまうこともあります。
幸福感に包まれることもあります。
何気ないどこにでもある風景を走る正平さんを見ていると、
身近にある幸せに気がつくからかもしれません。


そして、なにより、お手紙に書かれた視聴者さんの
「こころの風景」を目指して走るということもあり、
番組を見ていると人の思いも感じてしまいます。
だからこそ、涙がでてしまうのかもしれません。


そんな人の思いと番組で流れるテーマソングがまた
抜群で、毎回、「いいな〜」と感動してしまいます。
この番組でたまに流れる火野正平さんの「ちょうどいい」
という歌の歌詞もこの番組の良さを表しています。


「ながれ星 新幹線 ダルビッシュのストレート おやじの寿命
首相の任期 おちてく夕日 夜あけのポルシェ 世の中のながれ
みんなはいね いそいでるね どうしてだろう?お先にどうぞ
オレは これがいいさ このまんまが ちょうどいい
風にあおられたり 風におされたり 月にてらされて 星にふられて
のぼったり くだったり ふわふわいくよ エヘ
のんびりいくよ よこを見ると いつも こくびかしげてこっち見てる
キミがいるね ウフ!」

日常の中にある幸せを感じさせくれます。