2013年7月17日水曜日

ピクニックラン桜江

7月14日に「第17回ピクニックラン桜江」が行われました。
今回はマラソン21㎞、10㎞、ウォーキングの3部門の行われ、僕はマラソン21㎞の部に職場の上司と先輩、3人で参加しました。
そして、3人ともワラーチ(手作り)を履いての参加となりました。上司はワラーチ歴が長いのですが、僕はまだまだワラーチ歴が短いので、特に僕は無事にワラーチで完走できるのかと不安を抱えながらこの日を迎えました。




スタートは水の国で、そこから10㎞は江の川沿いを走ります。傾斜はなく、フラットな道が10㎞続くのですが、ただ景色はほとんど変わらずそれはそれで辛い時間ではありました。


10㎞を過ぎると街の中へ入っていきます。橋を渡ってすぐの駅に職場の方がご家族で応援をしてくださっていたり、トンネルを抜けた所や街の中にも職場の方やSさんの姿も。他にも地域の方が沿道でたくさん応援をしてくださっていたのですが、なんだか温かいんですよね。こう見えて恥ずかしがり屋なので、いつも沿道の応援には心の中で感謝をしているだけだったのですが、この大会では不思議とみなさんの応援に「ありがとうございます!」、「がんばります!」という言葉が自然と口から出ていました。



そして、13㎞辺りからいよいよ山道へと入っていきます。いや〜本当に辛かった。坂はまだまだ楽には走れません。ですが、時間にして10分ほどでしょうか、体が少し楽になり、あまり辛さを感じずに走っているという瞬間がありました。不思議な感覚でした。


走っている時になんとか写真を撮ってみました。こんな道を上って、下って、走って、でございます。
途中、女性ランナーの方からワラーチについて聞かれ、そこから会話が広がり、楽しく走ることができました(この方にはゴール後にも会うことができて、「おかげで完走することができました!」とお伝えすることができました)。



やっと上りきったと思うと、次は下りが待っていました(当然ですね)。
この下りは上り以上に厳しかったです。ワラーチを履いての下りの練習の必要性を強く感じました。
下り終えた!!と思うとなんとそこから、ゴールまでの3㎞...またも坂道。心が折れそうになりながら走っていましたが、最後の最後で今回、所々で応援してくださっていた某役場のHさんの応援もあり、辛い気持ちを忘れることができ、走りきることができました。

(Hさんが撮影された写真です。ちなみに僕です。今回、少し足を痛めていたので大げさにテーピングなんてしていますが、大げさにし過ぎただけです笑)

タイムは2時間27分でした。2時間30分以内にゴールするということと、最後まで歩かないという目標を達成することができ、また、ワラーチで完走することもできて、とてもいい時間になりました。うん。嬉しかったですね。










2013年7月10日水曜日

抽象的


抽象的と具体的という関係があります。
最近、その抽象的なモノについて考えることが多くなりました。
抽象的というのを辞書で調べると
『いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化 して考えるさま。
「本質をにとらえる」』となっていました。
あまり難しく考えてもよく分からなくなるので
もう、それなら「具体的の反対」ってことにしちゃいましょう。



それで、抽象的というものをもう少し砕いて、例えをあげてみます。
星野源さんという方がおられます。
その方の「化物」という歌詞を少し読んでみてください。



『今日もまたもらった雨を瞳の中に仕舞って 
明日またここから幕が開くまで一人お家へ帰る 
風呂場で泡立つ胸の奥騒ぐ 誰かこの声を聞いてよ 
今も高鳴る体中で響く叫び狂う音が明日を連れてきて 
奈落の底から化けた僕をせり上げてく』



これは具体的というよりも、抽象的なものであると思います。
「今日もまたもらった雨を瞳の中に仕舞って」
なんて部分は一度聴いただけではどういう意味だかなかなか分かりませんよね。
それはなぜか… やっぱり、
この詞が抽象的だからということになるんだろうと思います。



抽象的だと言葉の意味が分からないというより、
その言葉が、文章が具体的ではないので、
いろいろな意味に受け取れ、分かりずらいんだと思うんです。
そして、そこが抽象的の深い所だったりして。



聴いている側の僕たちが「これ、どんな意味の詞だろう?」
と考え、想像させてくるきっかけにもなりますし、
今の自分の気持ちに合わせて様々な解釈もできそうです。
この2つは同じように見えますが、微妙に違っていて、
違っているんだけど、でも繋がっているという感じですね。



相手に想像させるという仕掛けはなんだかいいんですよね。
そのものの幅も広がるし、受け取る側の幅も広がります。
これって、子どもと環境を考えたりする上でも大切になってくるんじゃないかな〜。


2013年7月3日水曜日

気ままな旅

7月1日〜7月2日の間、職場の先輩であるB氏と1泊2日の気ままな男旅を楽しんできました。場所は四国、しかも、しまなみ海道以外は全て下道を通って目的地に向うという濃い旅になりました。




1日目、朝5時半から出発し、12時半頃に最初の目的地である愛媛県大洲市にある大洲城に到着しました。僕が一番興奮したのが、ビオトープでした。城を見に来たのに、メダカや鯉がいるこのビオトープが一番盛り上がりました。





次に向ったのが、愛南町にある「石垣の里」という所です。入り江に面した急斜面に民家が並び、それぞれの民家には台風や季節風から家を守るために、軒に達するほどの石垣が積み上げられています。その景色は美しく、何よりどうやって作ったのだろうと驚いてしまうくらいインパクトのあるものでした。その景観は「日本の美しいむら農林水産大臣賞」や「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」、「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれているそうです。そんな石垣の里に大人2人も夢中になり、迷路のようなこの石垣の里を「すごい!」、「どうなってるんだ?」と興奮しながら探索していました。








斜面から見る景色も美しかったです。

そして、石垣の里と同じ半島にある「高茂岬」にも行きました。高茂岬は愛媛県の最南端でもあり、100mもの断崖が続く岬です。晴れた日には九州も見えたりするんだとか。この日は九州の姿は見れませんでしたが、広い海を高い所から一望できました。写真や言葉ではなかなか伝えることのできないくらいの感動がありました。



その後は宿毛という地に移動して、1泊。今回の旅はお金をあまり使わないということも決めており、ホテル代も節約。ということで、シングルに男二人で宿泊しました.....ホテルの方には「シングルですが大丈夫ですか?」と尋ねられましたが、「だ...大丈夫です!」と力強くお返ししました。




2日目

2日目は早朝ランニングからスタート!!朝6時の港町宿毛をゆっくり10㎞ほどを2人で走りました。


そして、車で四万十市へ。まずは、四万十市にある「トンボ王国(四万十市トンボ自然公園)」に行きました。四万十市には多くの種類のトンボが生息しているそうで、今までに83種類ものトンボが確認されているそうです。また、ここは世界初のトンボ保護区にもなっています。1972年にこの市にあったベッコウトンボの生息地が埋め立てられた悲しさや悔しさからトンボ研究家でもある杉村光俊さんという方が多くの個人や団体の協力を呼びかけてこのトンボ保護区の整備を始められたそうです。


保護区内はキレイに整備がされていました。ハス池があったり、小川が流れていたりとトンボやそれ以外の生き物にも住みやすそうな環境でした。僕も池があったり、小川があるこういう環境は大好きで時間を忘れてしまいそうになります。




四万十川学遊館という建物もあり、その中には「とんぼ館」と「さかな館」というものがありました。さかな館では小さい頃から一度は見てみたかったアカメにも出会うことができました。アカメはその名の通り、目が赤く光る魚です。全長は1mを超える大型魚で、西日本の太平洋沿岸にのみ生息する魚で、主な生息地は高知県と宮崎県です。数も少なく、絶滅危惧種にも指定されています。


また、とんぼ館では世界中の昆虫の標本を見ることができました。B氏は世界一大きなカミキリムシの大きさに大興奮でした。


次に向ったのは四万十川です。この四万十川に架かる「沈下橋」が目的です。沈下橋は土地とほぼ同じ高さの橋で、欄干はなく、川が増水するとその名の通り水面下に沈んでしまいます。沈下橋は比較的安い費用で作ることができるため、山間部や過疎地といった交通量の少ない地域で生活道路として作られたそうです。高知県ではこの沈下橋を生活文化遺産と捉え、保存し、後世に残していくという方針だそうです。




四万十川に架かる沈下橋を一つでも多く見よう、渡ろうということで、川に沿ってぐんぐん進んでいきました。帰る方向もあるので、四万十川に架かる全ての橋を見ることはできませんでしたが、合計で6つの沈下橋を発見しました。


中には壊れているものも。


 
橋の上から見る四万十川の流れは力強く、大きく、その姿は美しいのですが、同時に怖さも感じました。自然とはそういう両面を持ち合わせているのかもしれませんね。



帰りは細い山道をひた走り、いくつもの山を越えました。B氏の素晴らしい運転技術のお陰で何事もなく帰ってくることができました。



今回の旅はB氏とだからこそ出来る体験ばかりで、普段の旅行ではなかなか経験できないことも多く、本当に充実した時間になりました。いい旅ができたという気持ちと共に、近くにB氏という素晴らしい先輩がいてくれることに改めて嬉しさを感じ、感謝も感じました。そういった様々な意味でも、自分にとって内容の濃い、いい旅になりました!!
また、行きましょう!
あっ、ホテルの前で見つけたこれ。なんだか気に入ってしまいました。













2013年6月26日水曜日

落ち込むって

「落ち込む」ってなんなんでしょう。
そんなことについて少し思いを巡らせていました。
みなさん、一度は落ち込んだことってありますよね。
僕も落ち込みます。
いやいや、よく落ち込みます。
厄介ですよね。落ち込むって。
気持ちが「どよ〜ん」となってしまいます。
目の前のことに集中できなくなってしまうこともありそうです。
で、落ち込んだ時に考えたんです。なんで、人は落ち込むんだろうって。
それが分かれば、少しでも楽になれるかなと思ったもので。



で、考えた結果。「自信」が関係しているんじゃないだろうかと思ったのです。
自信過剰はいけませんが、適度に自信を持つことは必要かもしれません。
でも、これが厄介で。少しできるようになると慎重さを忘れるというか、
あまり考えずに行動してしまうことになったりします。
そういう時って、案外、自分では気がつかないんですよね。
で、ミスをしちゃう。
ミスをしちゃうと「ちょっとそれはどうなの?」と誰かが教えてくれます。
「あっ、またやってしまった」となる訳です。



「俺はいつまでたっても成長しないな…同じことの繰り返しばかりじゃないか」となると、
これは落ち込んでますね。
その都度、反省はするのですが、失敗の繰り返しには、どこか傲慢さも隠れていて、
つまり、自信を持ってしまったことが原因なんだろうと思うのです。
僕は自信をそんなに持ち合わせてはいないのですが、
これを「慣れ」みたいなものと考えると、
その先には「自信」というものが隠れているような気もします。
これから、
無意識のこのちょっとした自信を削ぎ落とす訓練を意識していこうと思います。



あ、これ僕の話ですよ。
みなさんはどんどん自信を持ってください。僕は削ぎ落とすことにします。
って別に自信がある訳ではないですよ。むしろ、その反対です。
そういう意識でいたいな~ということです。はい。


















2013年6月19日水曜日

その男、気まぐれにつき

彼の考えていることは分かったためしがありません。
もちろん、全てが分からないということもないのですが、
大きな枠で彼の言動を思い出せば、
やっぱりそれは「分からない」ということになるんだろう思います。
私の実家から、彼の実家までは歩いて30秒程です。
彼はいつも自分の都合で私の家に顔を出します。
そして、何をする訳でもなく、私の家に滞在します。
ひどい時は5分ほど滞在した後に「じゃあ、帰るわ」と言って、引き上げていきます。
こちらも「ああ」と気のない返事で応えます。
訪問時間も実に気ままです。
夕飯時、就寝前、ひどい時には12時を過ぎてから来ることもありました。
彼の頭の中に中学生が朝一番に目にし、
その日一日をどのように過ごすかを判断する大切な指針である、
時間割というものがあるとするならば、
私の家に訪問するという項目はその時間割の中にはなく、
3限目と4限目の間に文字としては存在しませんが、
でもはっきりと存在する「10分間の休憩」のようなものなのだろうと思います。




私の部屋の窓ガラスが何の前触れもなく、叩かれます。
彼の登場です。
私の部屋は一階にあるため、
彼はこのように無礼な態度で自らの到着を知らせることができるのです。
不意に窓を叩かれた私は当然、驚きます。
と同時に「また来たか」と思うわけです。
部屋に上がり込んだ彼はいつものように私の部屋で唯一スペースが確保されているイスに腰掛けます。
無論、用件などはありません。
しかし、決まって彼が言う言葉があります。
「なにか面白い話ないの?」です。随分と乱暴な振り方です。
自分の都合で来ておいて、その上、こちらに
「おい。なにかおもしろいことをしろ」と要求するのです。
困った奴であります。私も「ない」と愛想のない返事をするのですが、
そこは私です。
案外、そう言われると「何か面白い話はないかな」と考えてしまいます。
そして、数十秒後には何かを話し始めています。
いつものパターンです。仕方ないのです。
黙っていたって彼が何かおもしろいことを言う訳ではありません。



この男、基本的に自分の話はしないというスタンスの人間です。
昔からそうで、簡単にまとめてしまえば「ずるい」のであります。
いや、「ずる賢い」というべきかもしれません。
いやいや、もっと言えばこの男には「才能」というものがある
と言ってもいいんだろう思います。幼い時から彼は何でもできました。
勉強もできました。字もうまかった。絵のセンスもありました。
運動も私よりははるかにできていました。
おまけに男前という体であります。
しかし、不思議と悔しいという感情はありませんでした。
羨ましいと思うことはあっても、マイナスな感情は湧いてきませんでした。
そんな彼の「おもしろい話ない?」に私はいつも親切に応えていました。たぶん。
しかし、誤解しないでいただきたいのは、
今までの説明だと私はさながら彼の召使いという印象を与えてしまうかもしれません。
それは、少し違うのです。

続く...

2013年6月12日水曜日

せっけんと、はんどくりーむ

石鹸で手を洗いますよね。
特に冬場になると手を洗う回数が増えます。
それにより、手がカサカサしてしまいます。
あのカサカサした感覚ってどうも好きになれません。
なんだか手先の動きが鈍くなるような気がします。
カサカサしていない時には鋭いのかと言われるとそうでもないんですが。
で、カサカサになると、次は手に潤いがほしくなるので、
ハンドクリームを塗ります。
ハンドクリームはいいですね。
さっきまでカサカサだった手がウルウルになります。
それでもまた、手を洗う時がやってきます。
そうすると石鹸と水でハンドクリームが洗い流されて、
また手はカサカサになってしまいます。
でも、もう一度ハンドクリームを塗ることで、
ウルウルになります。もう冬場なんてこの繰り返しです。
カサカサとウルウルのダブルス戦です。



元を辿れば石鹸で手を洗うということは大きな要因なんですよね。
手の脂みたいなものが石鹸でなくなっちゃうんですよね。
確かそんな話でしたよね?
石鹸で手を洗ったことの穴埋めをハンドクリームさんがしてくれている。
ハンドクリームも石鹸も自然のモノではありませんね。
石鹸を使うからハンドクリームが必要になって、
石鹸を使わなければそこまでハンドクリームがも必要じゃなくなる(もちろん、水で手を洗うだけでもカサカサになりますよね)ということもあるのかもしれません。



石鹸を使わないというのは僕には無理な話なので、
これからもハンドクリームさんとは長い付き合いになりそうです。
でも、あなうめ、あなうめ、つぎはぎ、つぎはぎの限界ってあるのかもしれませんね。
そんなことを思ったり〜
ヌリヌリ。 

2013年6月5日水曜日

変わっているんですよね〜

「昔からあなたは変わらないよね」とか
「この町は昔から変わらないな」ということをよく耳にしますが、
「本当かな?」と思ってしまいます。



例えば早稲田大学の教授で虫取りが大好きな
池田清彦先生は著書でこんなことを述べられています。
「体力、気力、知力を尽くして何かをして遊ぶのが
楽しいという基準からすれば、老人になるに従って楽しみは減るばかりであるが、
基準を変えれば、楽しみ方もまた変わるわけで、
若者の方が常に楽しいとは限らない。
私は二十歳代の頃、毎日麻雀ばかりしていて、
人生の楽しみは虫採りと麻雀だけだと思っていたが、
三十代半ば頃から麻雀はパタリとやめてしまった。
何が楽しかったのか。今じゃよく分からない。
毎日十時間近く麻雀をしていてよく飽きなかったものだと思う。
きっと脳が変わってしまったに違いない。」
また、今も続けている虫採りも採る楽しさから、
蒐集(しゅうしゅう)の楽しさへ、
そして見る楽しさへ変化していったと述べられています。



また養老孟司先生も(この2人…とっても仲良しです)
『昨日の「私」と今日の「私」は違うというのが

もっとも大きな主題だったと思える。
もし、同じだったらいつまでも死なないことになる。
昨日まで生きていた自分が、明日死ぬことなどありえない。
ところが、現代は、毎日変わらぬ「私」がいるという
「真っ赤なウソ」がまかり通っているから、可笑しなことになっている。
脳細胞以外は、三ヶ月もすると体の細胞のほとんどが入れ替わり、新しい体になる。
脳細胞というのが曲者なのだが、
これも実は老齢になってからも海馬辺りで
新しい細胞が生まれるということが判ったから、
脳細胞すらも変わっている。
しかも、脳細胞は日々死んでいることも事実だから、
脳すら、変わらない自分を支えていることはない。
大恋愛して結婚して、どんなの長くても十年もすれば、
なぜ、この人を好きになったのだろうと思うようになる。
明らかに、十年前の「私」と今の「私」は違うからだ。】と仰っています。



僕も変わらないモノなんてないんじゃないかなと思います。
自分自身も1年前と確実に考え方は変わっています。
僕も「昔から、変わらないよね」みたいな言葉は言ってしまいます。
で、その時にいつも感じるのは「変わらない」という事実があるんじゃなく、
「変わってほしくない」自分の思いがそんなことを
言わしているんじゃないのかなと思うんです。
「変わらない」と思うことで、思い出が美しく保てるのかもしれませんね。
でも、人は変わってしまうんだろうと思います。
いや、変わっちゃいますよね。
それはそれなので、あまりそれを責めずにいきたいですね。