2015年5月3日日曜日

こころ旅

NHKのBSプレミアムで「にっぽん縦断 こころ旅」
という番組を放送しています。
火野正平さんが、視聴者の方から寄せられた手紙に書かれた
「こころの風景」を訪れながら、自転車で日本を縦断する番組です。


朝は7:45~8:00の朝版というのを放送していて、夜は19:00~19:29の
とうちゃこ版というのを放送しています。
僕はもう、この番組がたまならく好きなんです。


自転車で走っている正平さんを後ろから撮っている画、
天気の悪い日には天気の悪い画、
天気がいい日は天気のいい画、
移ろう自然を感じる画、
街中で人が話している音、
自転車をこぐ音、ギアチェンジをする音、
鳥がなく音、
雨の音、風の音、
正平さんの独り言、鼻歌、咳をする音、
不必要な音もなく、不必要なテロップもなく、
正平さんが走っている姿、走っている場所の音や映像が
しっかり伝わってくるんです。


風景ももちろんなのですが、そのままの正平さんが
またいいんです。
興味、関心が湧くものを見ると、立ち止まる正平さん、
動物にもどんどん近づいたり、食べれそうな物を見つけると
食べてしまったり、
若い女の人は必要以上に話しかけるのに、
おばちゃんには全く興味がなかったり、そんな正平さんを
見るのもまた楽しいんです。


この番組を見ていると、涙がでてしまうこともあります。
幸福感に包まれることもあります。
何気ないどこにでもある風景を走る正平さんを見ていると、
身近にある幸せに気がつくからかもしれません。


そして、なにより、お手紙に書かれた視聴者さんの
「こころの風景」を目指して走るということもあり、
番組を見ていると人の思いも感じてしまいます。
だからこそ、涙がでてしまうのかもしれません。


そんな人の思いと番組で流れるテーマソングがまた
抜群で、毎回、「いいな〜」と感動してしまいます。
この番組でたまに流れる火野正平さんの「ちょうどいい」
という歌の歌詞もこの番組の良さを表しています。


「ながれ星 新幹線 ダルビッシュのストレート おやじの寿命
首相の任期 おちてく夕日 夜あけのポルシェ 世の中のながれ
みんなはいね いそいでるね どうしてだろう?お先にどうぞ
オレは これがいいさ このまんまが ちょうどいい
風にあおられたり 風におされたり 月にてらされて 星にふられて
のぼったり くだったり ふわふわいくよ エヘ
のんびりいくよ よこを見ると いつも こくびかしげてこっち見てる
キミがいるね ウフ!」

日常の中にある幸せを感じさせくれます。




2015年4月26日日曜日

萩日記

5月頃に予定していた「花燃ゆ」を感じる萩の旅を、一緒に行く
予定だった友人と休みが合うことが分かったので、先日、予定を前倒し
して訪れることにしました。
まず、訪れたのは「大河ドラマ館」です。ここでは、俳優さんたちの
メッセージやドラマのセットがあったりとなかなか楽しめました。



松蔭先生が出す質問に答えると9人の塾生のうち、誰に一番似ているのか
ということを教えてくれる機械もあり、試してみると「久坂玄瑞」
という結果になりました。



大河ドラマ館は明倫小学校の敷地内に作られていて、同じ敷地内に明倫館の
跡も見ることができます。写真は明倫館の南門になります。
この明倫館は長州藩の藩校であり、日本三大学府の一つとされています。
この明倫館の出身者には、桂小五郎、吉田松陰、高杉晋作などがいて、
ドラマの中でも出てくる場所ですね。


また、同じ敷地内には有備館という剣術や槍術の稽古場もありました。




 これは水練池です。藩校の水練池は日本ではここしか残っていないそうです。



 次は実際にドラマの撮影で、大沢たかおさんが走った藍場川へ行ってみることに。
iPhoneで調べるのもいいのですが、たまにはということで、
地図を見ながら行ってみることにしました。



この藍場川は18世紀6代目藩主の毛利宗広が岡山城下に立ち寄った際に、
溝を作り城下へ水を引き入れることで、城下の経済が潤い、
また生活にも活用されている様子を見て、それを真似して作ったとされています。

そんな藍場川沿いをゆっくり歩きました。鯉もたくさんいて、静かで
気持ちのいい場所でした。


川沿いでこんな物も売られていました。




道の駅にあった銅像です。


続いて訪れたのは「涙松遺跡」です。
この先から左へ道が折れるので、城下が見えるのもここで最後になります。
松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、
「涙松」と呼ばれているそうです。
吉田松蔭も安政の大獄で江戸へ送られる際に
「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしき)ぬるる涙松かな」
と詠んだとされています。



この先に涙松遺跡があります。どんな気持ちでここを通ったの
だろうかとちょっと想像しながら歩いてみました。


次は野山獄、岩倉獄へ。
野山獄は海外密航に失敗した吉田松蔭が投じられていた場所になります。
ドラマでも出てきましたね。
反対には岩倉獄があり、こちらには一緒に密航しようとした金子重輔が
投じされました。


野山獄、岩倉獄の由来には驚きました。


そして、萩美術館にも。萩焼きはもちろん、歌川広重の「堀切の花菖蒲」
も見ることができました。


最後は明神池へ。
笠山というところにあり、昔、笠山と本土との間に砂州ができて陸続きに
なった時に、埋め残されてできた池が明神池になるそうです。
池は溶岩塊の隙間を通じて外海とつながっていて、潮の干満も見られるそうです。
行ってみると、海の匂いがしました。
また、マダイ、イシダイ、コチ、エイ、スズキ、ボラと池の中には様々な魚が
いるそうで、天然の水族館とも言われているそうです。



浅瀬にたくさんの魚がいるので、よく見えてまさに水族館でした。


明神池の敷地内に風穴という所もありました。
この辺りには、溶岩ブロックの隙間から風が出入りする風穴が多く見られるそうで、
なかでもここの風穴が一番大きなものだそうです。
真夏でも15℃くらいの冷たい風が吹き出しているそうです。
本当にここの場所だけ、寒さを感じました。夏に訪れるときっと涼しいんでしょうね。


1日でいろいろな場所を巡りました。実は昨年の6月にも訪れているのですが、
まだまだ行ってみたい所があります。
萩はそんなに大きな町ではないのですが、興味をそそる場所がたくさんあります。
人の思いや昔の人が暮らしていた場所が歴史として残っているこの町は
おもしろいですね。


2015年4月19日日曜日

島根県のこと

歴史を知るのはおもしろいことだなと思います。
とは言っても歴史について、詳しくはないのですが、
歴史を知ることで、今の生活が歴史の上といいますか、
つながりを持っているんだな感じることができるので、
なんだか嬉しくなります。


で、思ったのが自分が住んでいる県の歴史を全然知らないじゃないか
ということなんです。なんなら今の県の様子も分かっていないかもしれません。
そんなことで島根県についてちょっと調べてみました。


まず、1869年の版籍奉還によって、各藩の管理下にあった土地や人々が
新政府に属するものとされました。そして、各藩の藩主は藩知事となり、
中央から任命される形で各地を統治する役目を担うことになりました。
その後、1871年には藩も廃止され、その代わりに県を置くという
廃藩置県が行われます。授業で聞いたことのあるあれですね。
廃藩置県の直後は今まで藩だった領地をほぼそのまま県に行こうしただけだたので、
全国で3つの府と302の県が成立したそうです。
全部覚えられそうもありませんね。


で、島根なんですが、廃藩置県の直後は松江県、母里(もり)県、
広瀬県、浜田県の4県が置かれたそうです。
母里県と広瀬県はいずれも現在の安来市付近になりますが、
どちらも領地は大変狭いものだったそうです。


次に県西部の石見地方ですが、当時は浜田藩、津和野藩が存在していました。
浜田藩は長州征伐(長州藩と幕府との戦い)に際し、幕府側について参戦した
そうなのですが、敗退してしまいます。そのため、長州藩に占領される
ことになります。なんだか、放送中の大河「花燃ゆ」につながる感じが
してわくわくしますね。
しばらくは長州藩の支配にあったのですが、1869年に大森県が置かれた
ことにより、長州藩の占領が終わりを告げることになります。
大森県は銀山のあった大森に県庁を置いていたそうですが、
1870年初旬に大森から浜田に県庁所在地が移され、大森県は
浜田県と改称することになったそうです。
大森県もあったということは、
1869年の版籍奉還の時点では、廃藩置県後の4県よりも
もっと多くの県が島根にはあったのでしょうね。


また隠岐は江戸時代、松江藩の支配下にあったそうなのですが、
1869年には隠岐県が置かれ、松江藩から独立します。
しかし、同年、大森県(浜田県)の管轄に組み込まれることに
なったそうです。隠岐と浜田では距離もかなり離れているのに不思議ですね。


このように現在よりも多くの県が置かれることになったのですが、
多くの規模、境界を持つ県があり、その後の県の運営に支障をきたすのでは
と考えられ、県の整理、統合が行われていきます。
ますは1871年に松江県、母里県、広瀬県が統合され、島根県が成立します。
ここで、やっと島根という言葉が出てきました。
さらのこの島根県に浜田県から分離した隠岐県が組み込まれることに
なったのですが、同年12月に隠岐県は鳥取県に移ることになります。
ちょっと隠岐は振り回されすぎではないかと思ってしまいますね。
一方、浜田県は、まだまだしばらく浜田県として存続していきます。


そしてようやく、5年後の1876年に浜田県は廃止され、島根県に統合され、
新生、島根県が置かれることになります。
どうして浜田県の統合はそんなに後になったのですかね。
やはり距離の問題だったりするのでしょうか。
島根県は東部と西部ではかなり距離が離れています。
現在でも東部と西部には妙な壁があるように感じてしまいます。
東部の人からすると、西部が同じ島根県であるという意識はもしかすると
あまり強いものではないのかもしれません。
それはまた西部の人もそうかもしれません。
時、浜田県と別れていたことも関係しているんですかね。


またある時期、鳥取県と島根県が一緒になり、島根県という
管轄にもなっていたそうです。後に反対運動が起こり、
鳥取県と島根県は分離されたそうですが、知らないことはまだまだありますね。





2015年4月12日日曜日

方法論

先日、朝の番組で「帰省のモヤモヤ」という特集があり、その中で、
年末年始に実家に帰りたくない原因として嫁姑の人間関係が取りあげられていました。
「姑とどう関わればいいのか」
「嫁とどう関わればいいのか」
という話が展開されいました。そんな番組をしばらく見ていて、
あることを思いました。
それは「関わり方の正解、方法論、法則」を僕たちは見つけようと
しているのかもしれないということでした。


「姑にはこう関わればいい」、「嫁にはこう関わればいい」
ということを知りたい。それも楽して知りたいという部分があるのかもしれません。
「こうしておけば大丈夫」ということを知っておきたい。
という気持ちは情報がたくさんある今の世の中では
もしかすると当然な思いなのかもしれません。
僕自身もそんな思いになります。


ですが、姑さんもお嫁さんもみんな同じ考えでないですよね。
みんなそれぞれ違っています。
それぞれに違うのだから関わり方も
それぞれに違ってきます。
それなのに、その人を見ずに方法論ばかり知ろうとするのは
なんだかちょっと違うのかなと思ってしまいました。
その人のことをしっかり見れてないということにもなりそうです。


嫁姑の問題に関わらず、僕たちは何か正解やこうしたら大丈夫という
方法論や法則に頼ろうとしすぎなのかもしれません。
それは、なんだかちょっと自分中心なのかなとも思ったりします。
人との関係は、その人と付き合っていくなかで
それぞれの関わり方を学んでいくのかなと思います。
まずはその人と関わって、その人を知ることが大切なのかなと見ていて感じました。
それは、相手に合わせることでもあるのかもしれません。


そんなことを
「自分はそれ、できているのかな」と自問しながら、
人と関わっていきたいなと思いました。








2015年4月5日日曜日

お風呂

日本でお風呂というと、浴槽に湯をためて、ぐ〜っと伸びをして、
割と長い時間浸かって、1日の疲れをとるというようなイメージがありますが、
どうもそれは世界ではちょっと違うようです。


欧米などではシャワーが一般的で、ロンドンオリンピックの選手村でも、
半分ほどはシャワーしかついていない部屋だったそうです。
国によっては毎日はお風呂に入らない、シャワーもしないという
ところもあるそうです。


なぜ、このようにシャワーが主流になったのかというと、どうも
宗教などが関係しているそうです。
かつて、古代ローマにも、イギリスにも大浴場があり、
入浴を楽しんでいたようです。「テルマエロマエ」の世界を思い浮かべると
想像できそうですね。
そんな入浴ですが、宗教で「快楽」を禁止したために、
なくなっていったのではないかと言われています。また、伝染病が流行したから
という説もあるみたいです。


そうなると、日本のお風呂の歴史にも気になってきます。
日本のお風呂の歴史は6世紀頃が始まりだとされています。
仏教が伝わるとともに、中国から伝わってきたそうです。
仏教では、お風呂に入ることで、「七病を除き、七福を得る」とされ、
健康にいいと理解されていました。そのため、寺院では浴堂が備えられ、
庶民に入浴を施したことから、お風呂に入る習慣が生まれたのではとされています。


お風呂は江戸時代に大きく変化していったようなのですが、
それまでは「お風呂」と「湯」は区別されていたそうです。
「湯」は体を浸すものでしたが、「お風呂」は蒸し風呂のようなもので蒸気を
発生させ、その蒸気によって、蒸らされた体を擦ることで垢を落としていたようです。
今のサウナのようなものですね。
ちなみに、この「お風呂」の後に着替えるものを包んでいたのが「風呂敷」
だそうです。また、実際にお風呂にも敷いていたそうです。
蒸気が出ているお風呂だったので、そんな布を敷くことでちょうどいい
感じになっていたのですかね。


そして、江戸時代に入ると銭湯がうまれ、庶民が銭湯を楽しむという
銭湯文化がうまれていったようです。まだまだ細かく調べると、様々な
形態のお風呂があるようです。


そして、現代では日本では各家庭に必ずといっていいほど、浴槽があり、
入浴を楽しんでいますね。
お風呂一つとっても、世界と日本では違いますし、
日本においてもその歴史を知ると、今のお風呂が昔から当たり前ではなかった
ということを知ることができました。
形は違いますが、お風呂は日本人には馴染みの深いものだったのですね。
どうして、そんなに日本人はお風呂が好きなのでしょうか。
気持ちがいいからというこはもちろんなのかもしれませんが、
お風呂が伝わってきた時の「七病を除き、七福を得る」という
考え方が染みついているからでしょうか。


(ランプの湯)


2015年3月29日日曜日

時代劇の人

子どもの頃、祖父と一緒によく時代劇を見ていました。
「暴れん坊将軍」「銭形平次」「水戸黄門」などは
オープニングの曲を聞くと、なんだか懐かしくなります。


「暴れん坊将軍」というと松平健さん演じる徳川吉宗ですね。
僕の中では「徳川吉宗」と聞くと、自然と=松平健さんになってしまっています。
徳川吉宗といえば享保の改革で、新田開発の推進、火事対策、
財政再編を行った人ということですが、どのあたりが「暴れん坊」なのでしょうか。
ちょっと調べてみると、吉宗は身長が180㎝を超えていて、
かなり力自慢だったようです。力士と闘って勝ってしまった話や、
突っ込んできた猪を打ちのめしたり、鷹狩りで逃げる鶴を追いかけて、
ジャンプして捕まえてしまった話もあるそうです。
本当かどうかは分かりませんが、「暴れん坊」とついても
おかしくないですね。また数字にも強かったらしく、そんなところが
財政再建にもつながったのかもしれませんね。


次に「銭形平次」ですが、これも好きな時代劇でした。
「男だったら〜」のあの歌をよく口ずさんでいたりもしました。
この銭形平次は架空の人物で、物語の作者の方が、
物語の構想を練っている時に、たまたま建設現場で見かけた錢高組の
看板と社章から銭形平次の名前と、あの銭を投げる形を思いついたそうです。
ちなみにあの投げている銭は寛永通宝というもので、
1636年の寛永13年に作られ、幕末まで作られていたそうです。
現在の値段だと、あの投げていた寛永通宝1枚は約20円ぐらいの
値段になるのだそうです。もっと高いのかなと思っていましたが、
そうでもないみたいですね。


最後に「鬼平犯科帳」の「長谷川平蔵」です。
この人は実在した人物なのだそうです。長谷川平蔵といえば
演じている中村吉右衛門さん(歌舞伎役者の方で、あの六甲のおいしい水のCMの人です)を思い浮かべますが、実在の平蔵は
青年期、なかなかのやんちゃもので周りからは恐れられていたそうです。
お父さんが貯めたお金も遊郭などに通うことで、使い果たしてしまったそうです。
その後、お馴染みの「火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)」に任命されます。
人情味のある仕事っぷりで、庶民からは人気があったそうです。
やんちゃものだった人なのに、不思議ですね。
火付盗賊改方は放火や盗賊、賭博を取り締まる役職とされています。
警察のような感じですね。
しかし、この火付盗賊改方は疑わしい人を容赦なく検挙することが
認められていたために、厳しい取り締まりによる誤認逮捕や冤罪も
多かったそうです。


その時代に生きたいとは思いませんが、人々がどのように暮らし、
どんな時代だったのか見てみたいなと思います。

2015年3月22日日曜日

花の名前

今の時期は気温も高くなり、晴れている日も増えてきて、
走っていて本当に気持ちがいいです。
季節は冬から春になったこともあり、至る所に
そんな春を感じることがあります。


生き物が出てきたり、道端には花も咲き始めています。
走っているとそんなきれいな花が目にとまるので、
立ち止まり、写真を撮ったりすることも多いです。


先日も走っている時に写真の花を見かけました。
周辺一帯にこの花が咲いていてなんともきれいでした。
僕は植物には全く詳しくないので、この花の名前が分からなかったので、
帰って調べてみました。調べてみたのはいいのですが、
なかなか見つからず、しばらく調べてやっとこれかな?
という名前にたどり着きました。
「オキザリス・バリアビリス」というものではないかと思うのですが、
聞いたことのない名前でした。
葉には丸みがあり、また細い毛があり、撥水性もあるため、
葉の上にのった水は球体になるそうです。試してみたくなりますね。


オキザリスは南アフリカ、中南米の熱帯〜亜熱帯原産の球根植物で、
属名のオキザリスはギリシャ語の「オクシス(酸っぱい)」という意味で、
葉にシュウ酸が含まれていることにちなんでいるそうです。
花言葉は「輝く心 母親の優しさ 喜び 決してあなたを捨てません
輝煌」となるそうです。


また、この時期に走っていると妙な匂いがすることがあります。
その匂いを嗅ぐと「あ、春がきたな(春によく嗅ぐ匂いだな)」
と思うのですが、その匂いはいい匂いではなく、
自然物ではないような、どこか人工的というか、機械的?というのか
とにかく妙な匂いを嗅ぐことがあります。


「一体この匂いはなんだろう?」と思っていたのですが、
先日その匂いの正体ではないかというものを見つけました。
外に出ている時に、あの妙な匂いが漂ってきて、
近くにあった花の咲いた木に目がいったので、
臭ってみると、あの匂いがしたんです。
「あ、これか!」とやっとその正体が分かって、なんとも
嬉しい気持ちになりました。と、同時に植物の匂い(自然物の匂い)だった
ことにも驚きました。
それがこれです。

こちらも何という植物か分からなかったので、調べてみました。
「ヒサカキ」という名前のようで、花は写真のように
白っぽいクリーム色で、壷状で、強い芳香を放つそうです。
その芳香は一般的な花とは異なり、都市ガスやたくあんに似た
独特の匂いとありました。僕が感じていた妙な匂いもこれだったんですね。


かつて探偵ナイトスクープでは「インスタントの塩ラーメンの粉末スープに
似ている」と特集されたそうです。
確かに似ているかもしれません。


自分の知らない世界が近くに広がっていると
思うと安心するというか、嬉しくなるような
そんな感覚があります。