2012年9月8日土曜日

こちら側からあちら側へ

「なんとかここまでできるようにしてあげよう」
「こうなれるようにしてあげよう」
というような言葉や姿勢?やり方に違和感を覚えることがあります。


「こうなってほしいと思う側」がいて、その「こうなってほしいと思う側」はなんとかその対象を「こうしよう」としている感じがするんです。
もちろん、そこに悪気なんてないんだと思います。


「こうなってほしい」にはどこか結果が即効的に求められるような気がします。
運動における技術の向上とかだとなんとなく受け入れやすいのですが、
例えばそれが人に向いた時に、やっぱり違和感を覚えるんです。


「こうなってほしいと思う側」の思いが強過ぎてしまうと「強引」になってしまうこともあるのかな。強引な姿勢は相手が人だった場合にはいろいろと問題も起きそうな気がします。
なんでしょう.....相手の気持ちを置いていっちゃている感じなのかな?


「こうなってほしい」の軸は「こうなってほしいと思う側」にあるんですかね?
もちろん「こうなってほしい」と思うことは大切なことで、考えていかなければいけないことだと思います。


それが、「こうなってほしいと思う側」に軸があるより、
「こうなってほしいと思う対象」に軸がある方が、その対象に寄り添っていけるのかなと思ったり。強引な感じにならないのかなと思ったり。


分かってなんていません。だから迷ってるんですよね。

気がつけば強引になっているのかもしれないし、迷って動けないこともあるし。
まだ、考えているだけです。動きには表れていないと思います。
無能さに気がつく毎日です。












2 件のコメント:

  1. >「こうなってほしいと思う側」に軸があるより、「こうなってほしいと思う対象」に軸がある方が・・・

    思えば今のクラブを始めてからの数年間は、その「軸」が、こちらからあちらへと移っていく私の体験だったような気もします。

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    1. コメント、ありがとうございます。bunbunさんのクラブ活動を実際に拝見したことはありませんが、軸が「こうなってほしい対象」に向いておられるのだろうなということはtwitterやブログでの様子で伝わってくる気がします。僕はまだまだ迷いの中です。実践ですね!

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