2013年5月29日水曜日

言わなくてもいいこと

言っていいこと、言ってもいいこと、言わなくてもいいこと、言ってはいけないこと、という感じで分けてみました。
「言わなくてもいいこと」と「言ってはいけないこと」があります。
「言ってはいけないこと」って結構、浸透しているものだと思います。
言ってはいけないことを具体的に挙げることはしませんが、
誰かを目の前にしたときに(一人だけでなく複数の人や集団にも当てはまりますね)
その「言ってはいけないこと」というのは比較的分かりやすいことだと思います。




でも、それとは別の「言わなくてもいいこと」
というものにも注意をしておかないといけないなと思うようになってきました。
「言わなくてもいいこと」というのは「言ってはいけないこと」に比べると言ってしまいがちです。
と言うよりもよく、言っています。
「言ってはいけない!」という強制のような強さに比べると
「言わなくてもいいこと」にはそこまでの強制さはなく、
「言ってはいけないこと」と比べてしまうと頼りないというか、
ふわふわしていて、はっきりしません。
でも、この「言わなくてもいいこと」って気が付ないうちに暴走しちゃうことがあるんじゃないでしょうか。
これが暴走しちゃうと「言ってはいけないこと」に
変身してしまうこともあるんだと思います。
そうなると「言わなくてもいいこと」ってもう、ほとんど「言ってはいけないこと」なんじゃないかとも思い始めてしまう訳ですよ。
もう、そう思ってしまおう!と思っていたりもします。



細かくなると「言わなくてもいいこと」の中にも
「どちらかと言えば言ってもいいこと」と
「どちらかと言えば言ってはいけないこと」みたいに分かれているような気もしますが、これを言い出すとさらに面倒になるのでやめておきます。



で、何が言いたいのかと言いますと、
この「言わなくてもいいこと」をあえて言うことが
「親しみ」とか「何でも言い合える仲」みたいなことではないんじゃないのと思ったのです。「言わなくてもいいこと」は「言ってはいけないこと」に化けます。
だから、「言わない方がいいんです」断然。
そんなことばかり言っている人ってやっぱり一緒にいて気持ちよくはありませんよね。
これ、自分こそ気をつけなければなと思っているのです。 

2013年5月22日水曜日

スキーマ

先週に続き、「超常現象をなぜ信じるのか〜思い込みを生む「体験」のあやうさ/菊池聡」の内容を紹介します。
まずは、この白黒のまだら模様のような図を見てください。


何度か見たことのある図だと思いますが、これは何の絵に見えますか?
何の予備知識もなくこれを見たら、
多くの人はこれがなんだか分からないそうです。著者が大学生で実験した結果でも、8割以上の学生がすぐには何か分からなかったそうです。
ところが、これは「公園の中を向こうへ歩いて行くイヌ(ダルメシアン)の絵だ」と言われたらどうでしょう。もう一度見直すとダルメシアンの後ろ姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。目でとらえているまだら模様は何も変わっていませんよね。変わったのは私たちの知識とそれにもとづいて絵を見ようという「予期」だけなんだそうです。
このような、ものを見たり考えたりする際の枠組みになる知識のことを、「スキーマ」と呼ぶそうです。このスキーマのおかげで未知の状況に出会った時でも、その状況を的確に理解したり、適切な予期を形成できるようです。
確かに私たちの世界は多様ですよね。その無限ともいえる多様性の状況を「こうなんじゃないかな」とある程度予測する力は大切ですよね。
じゃないとちょっとしんどいです。



そして、このスキーマと関係するあることが続いて書かれています。
UFOという言葉があります。これは未確認飛行物体の略称でもともとは宇宙人の乗り物とか、空飛ぶ円盤という意味ではないというのはよく言われますね。
つまり、空に鳥なのか、風船なのかよく正体が分からない物があったとすればそれはその正体が判明するまでUFOということになります。このUFOは世界各地で多くの目撃情報があります。しかし、本によると米空軍が正式なプロジェクトとしてUFOの目撃情報を徹底的に調査した結果、一万件以上の目撃情報のうちの94%が飛行機や星、人工衛星だったことが判明したそうです。また、「では、残りの1割のUFOが宇宙人の乗り物なのだ」という訳ではなく、最後まで正体が不明だったということのようです。この本はこのような事実を書いているだけで、決してUFOが宇宙人の乗り物だと言っているわけではありません。事実としてそうだったと紹介してあるだけなんです。



ではどうして、このような誤認が起こってしまうのでしょうか。
その誤認をUFOに関するスキーマから考えた結果が次には書かれています。

(【】内は引用です)


【私たちはすでにUFOがらみの出版物やテレビの特番、映画などで、宇宙人の乗り物という解釈を繰り返し教え込まれています。そんなスキーマ(物を見たり、考えたりする際の枠組みになる知識)をもっている人が、空中に「正体が分からない何か」を目撃したら、それをどう判断するでしょうか。遠くを飛んでいる飛行機や鳥などの正体を確認するのは至難の業で、とても曖昧な解釈になってしまいます。
そんな場合にはすでに持っているスキーマに沿って予期が働き、その結果、UFOを見たという体験が生じるのです。これは目撃者が嘘をついているわけでも、幻覚を起こしているわけでもありません。本当にUFOを目撃しているのです。ただし、その信念と事実が必ずしも一致しない所が問題なのです。】



見るということは多くの推論を通しいるんですね。
【不完全な感覚情報(見るなど)から確かな知覚を得るためには周囲の文脈や自分のスキーマを手掛かりに、感覚情報にもっともふさわしい解釈はなんであるのか、常に推論を行っているのです。それによって直接利用できる感覚情報以上に、よりよく世界を知覚することができるのです】



本当にうまくできていますね。このようなスキーマがあるからこそ、人はいろいろなことを理解しながら生きていけるんですね。しかし、このようなスキーマや人の感覚の曖昧さを理解することで、自分の体験を丁寧に冷静に考えることが必要になってくるように思います。誤った解釈というのは私たちは結構な数、繰り返しているのかもしれませんね。
これは気をつけないとなと思うんです。



ちなみにこの本は宇宙人の乗り物があるとかないとかの話は一切にしていません。
それは、まだ誰にも分からないことですもんね。 

2013年5月15日水曜日

確証バイアス


「超常現象をなぜ信じるのか〜思い込みを生む「体験」のあやうさ/菊池聡」という本があります。人の認知の不確実さがとても分かりやすく解説してある一冊です。その中で、ある実験の紹介がされています。その実験から人の思考傾向が分かりやすく解説されているので、ちょっと紹介してみようと思います。


【】は本文の引用です。

【別室に待機している初対面の人物がどんな性格かを実際に相手に面談して、推測するように求められました。ただし、最初に半数の参加者は「相手は外交的な性格の人」と紹介され、残りの参加者には「相手は内向的な性格の人」と紹介されたのです。



つまり、実際に面会する前に相手に対する予期が形成されたことになります。次に、実際に面会したら相手にどのような『質問をしたいかを、いくつかの選択肢から選ばせました。その結果、面接する相手が外交的だという予期を持った参加者は、「たとえばどんな状況であなたはおしゃべりが多くなりますか?」といった相手が外交的だという仮説を確証する質問を多く選びました。これに対して面接する相手が内向的だという予期を持った参加者は「騒々しいパーティのどんなところが嫌ですか?」といった、やはり自分の予期を確認する質問を多く選んだのです。


この実験は様々な条件を変えて、行われましたが、予期を確証する質問を選ぶ傾向は一貫して見られました。もしも、この初対面の相手が、実際には内向的な面も外交的な面もそこそこに持ち合わせた人、つまり普通の人であったとしたらどうでしょうか。おそらくたくさんの質問に対して、自分なりに答えるでしょうが、その多くは、質問者の予期をさらに確証させてしまう答えになはずです。外交的な面をきかれ、自分の外交的な面を答えたとしたら、それはその人が外交的であるこのと確証になってしまいます。同様に内向的という予期をもった質問者は、自分の予期が確証されたと考えるでしょう。私たちは、予期にそった情報収集をすることで、入手した情報が自分の予期を証明していると錯覚してしまうのです。】

また、ある実験では


【教育評価法の研究という名目で、ある実験が行われました。参加者は小学校4年生のある女の子のビデオを見て、その子の学力を判断することが求められました。ビデオの前半では女の子が遊んでいる様子などが映し出され、その際に半数の参加者には女の子が劣悪な家庭環境の子どもであると説明され、残りの半数の人には中流階級の家庭の子どものであると説明されました。



つまり、前者の説明では女の子が低学歴であると予期させる情報であり、後者の情報では相対的に高学歴であることを予期させられることになります。このビデオの前半部分が終了した際に参加者に女の子の学力を評定させたところ、どの予期条件でも学力の判断にほとんど違いは見られませんでした。問題はそのあとです、後半部分では女の子が教室で教師から出される問題に答えている場面が映し出されました。この女の子は難しい問題にも、簡単な問題にも同じ程度に正解したり、誤って答えたりしています。この後半部分だけ見ても、その子が高学歴か低学歴なのか判断できないように、慎重に配慮して作られていたのです。



そして、このビデオを見終わった後に、参加者は再び女の子の学力について読解力、知識、算数能力といういくつかの項目で評定することを求められました。すると、最初に低学歴を予期した人と高学歴を予期した人では、全ての項目で評定にはっきりと差が見られました。すなわち、全ての項目で高学歴と予期した人たちの方が能力を高く評価していたのです。これは与えられた予期情報通りに女の子の学力が評定されてしまったことになります。後半は同じビデオを見ています。また前半のビデオの後の評定ではまったく差がなかったにも関わらず、なぜこのような評定差が生じたのでしょうか。



さらに詳しく参加者の評定を分析すると、高学歴の予期を持った参加者は女の子が難しい問題に正しく答えた場面をよく憶えていることが分かりました。つまり。ビデオの雑多な情報の中から、自分の予期の正しさを裏づける情報が選択的に認知され、逆に反証となる情報には注意が払われていなかったのです。】



女の子の実験はいくら実験といってもなんだか嫌な感じですね。そもそも、学力って...とかそんなことで評価しようとしているなんて...といろいろ考えてしまいますが、それは本題ではないので...

で、このような思考傾向を「確証バイアス」と呼ぶそうです。確証バイアスの側面を簡単に説明すると「人はその時に持っている信念や仮説に合致する情報を求める傾向をもつこと」ということになります。



心理学用語が出てきて少し読みとりにくい文章かもしれませんが、この確証バイアスというものは知っておいても損はないように思います。私たちが日々、多くの人と接する際にこの確証バイアスというものによって、誤った人物像を作り上げてしまうということは往往にしてあることだろうと思います。誤った人物像が作られると、その人物像に合う都合の良いことしか受け入れなくなるということは先の実験の様子からも分かることですね。



これってちょっと気をつけておかなければいけないことだと思います。これが行き過ぎてしまうと大変ですから! 

2013年5月8日水曜日

いい時間でした。

連休中は下関~福岡に行っておりました。
楽しく、充実した時間を過ごすことができました。
そんな中、旅行2日目と3日目に朝ランニングも楽しみました。



まずは北九州ラン。道路沿いを走っていると
「瀬板の森公園」という所を発見。早速、入ってみるとこれが気持ちいい!


 





道は舗装されているのですが、周りは木々ばかりなので、
気持ちも落ち着き(別に不安定になっていた訳ではありませんが)、
優雅にランニングを楽しむことができました。
朝という時間でも、多くの方が走ったり、歩いたりと
身体を動かすことを楽しんでおられるようでした。




次の日は福岡市を走りました。ヤフオクドームや
福岡タワー付近の海辺からスタートし、


大濠公園という所に行ってきました。この大濠公園は1週が2㎞あり
、またランニングがしやすいように道も作られていました。



なので、朝から本当に多くのランナーが走っていました。
そんなランナーのみなさんと方を並べながら、
僕もゆっくり走りました。この大濠公園もとっても気持ちがよかったですね。
木々に囲まれているし、真ん中には池もあり、
木と水を感じながら、ランニングをすることができました。
(こちらが昼間の様子です。右側の建物は公園内にあるスタバです。
なかなかいい雰囲気でしたよ。)


(こちらが僕が走った朝の様子)

しかし、途中でお腹をくだしてしまい、早めにホテルに戻ることに...
もっと走りたかったです...。

 

知らない土地を走るのって楽しいんですよね。
車に乗っている時には気がつかないことに目がいったり、
実際に走ることでその町の空気を感じるっていうんですかね。
なんだか、町の雰囲気が伝わってくる気がするんです。
「あ。気持ちのいい町だな〜」なんて思ったり。
それがいいんですよね。旅行先でのランニング、たまりません!
あ!ランニングは一人でもできますが、僕は一緒に旅行に行ってくれる
人がいることにとっても感謝もしています。

2013年5月1日水曜日

森田さんのお仕事を体験




弥栄(やさか)でリンドウという花を栽培されておられる森田さんの(保育園の保護者会長さんです)所職場の人達とお手伝いに行ってきました。以前から、森田さんのお話を聞いていて、いつかはお手伝いにいきたいと思っていたので、念願かないました。



リンドウの株一つひとつに肥料をまいたり、脇目を摘んだりという作業をさせていただきました。


土手に座って、休憩。




中腰の体勢での作業のため太ももが圧迫(小太りなので)されるので、このマシーンには助けられました。これに座って、移動しながら、脇目を摘みました。


これが僕たちが担当したリンドウ畑です。この他にもいくつものリンドウ畑があります。この畑は10月頃に花が咲くそうですよ。


作業を終えた後には森田さんのお父さんとお兄さんがやっておられる牧場にもお邪魔させていただきました。


今回、一日という時間ではありましたが、
森田さんのお仕事を体験して、植物や動物と関わるお仕事の内容を知るとともに、
その大変さも感じました。
とにかくコツコツと段階を踏んでいく作業の連続で、
簡単なものではなく、気持ちも体力も使うお仕事でした。
植物や動物に合わせて行動するので、決まった休みはありません。
人の都合が優先ではないというのがなんとも考えさせられます。



社会にはいろいろな仕事があり、様々な人がいるからこそ成り立っているんですよね。
今年度の保育園のテーマは「仕事を知る」です。
子どもたちにそのようなことも感じもらえるように
取り組んでいきたいと思っています。




ちなみに園のテーマが「仕事」だから、森田さんのお手伝いをしたという訳ではなく、
好奇心から「体験してみたい!!」という思いが生まれ、
このような機会を頂きました。
これからも定期的にお邪魔させてもらう予定です!!



みなさん、弥栄には情熱をもって、リンドウを栽培されておられる方がいます。
どこかで、リンドウを見かけたら、そんなことを思い出していただけると嬉しいです。