2013年7月10日水曜日

抽象的


抽象的と具体的という関係があります。
最近、その抽象的なモノについて考えることが多くなりました。
抽象的というのを辞書で調べると
『いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化 して考えるさま。
「本質をにとらえる」』となっていました。
あまり難しく考えてもよく分からなくなるので
もう、それなら「具体的の反対」ってことにしちゃいましょう。



それで、抽象的というものをもう少し砕いて、例えをあげてみます。
星野源さんという方がおられます。
その方の「化物」という歌詞を少し読んでみてください。



『今日もまたもらった雨を瞳の中に仕舞って 
明日またここから幕が開くまで一人お家へ帰る 
風呂場で泡立つ胸の奥騒ぐ 誰かこの声を聞いてよ 
今も高鳴る体中で響く叫び狂う音が明日を連れてきて 
奈落の底から化けた僕をせり上げてく』



これは具体的というよりも、抽象的なものであると思います。
「今日もまたもらった雨を瞳の中に仕舞って」
なんて部分は一度聴いただけではどういう意味だかなかなか分かりませんよね。
それはなぜか… やっぱり、
この詞が抽象的だからということになるんだろうと思います。



抽象的だと言葉の意味が分からないというより、
その言葉が、文章が具体的ではないので、
いろいろな意味に受け取れ、分かりずらいんだと思うんです。
そして、そこが抽象的の深い所だったりして。



聴いている側の僕たちが「これ、どんな意味の詞だろう?」
と考え、想像させてくるきっかけにもなりますし、
今の自分の気持ちに合わせて様々な解釈もできそうです。
この2つは同じように見えますが、微妙に違っていて、
違っているんだけど、でも繋がっているという感じですね。



相手に想像させるという仕掛けはなんだかいいんですよね。
そのものの幅も広がるし、受け取る側の幅も広がります。
これって、子どもと環境を考えたりする上でも大切になってくるんじゃないかな〜。


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