2015年3月15日日曜日

俳句

ちょっと前に俳句についての話で盛り上がったことがあるのですが、
俳句についてよく分からないので、
ちょっと調べてみました。


俳句は俳諧連歌(俳諧)から生まれた近代文芸だそうです。
まず、連歌は和歌の五七五 七七を基盤とし、
複数の作者が連作する形式とされています。
そして、歴史的には和歌の上の句の五七五と下の句の七七を別な人が詠むという遊戯的な試みが連歌の起源とされているそうです。
その連歌の遊戯性、庶民性を高めた文芸が俳諧になるそうです。


17世紀にあの松尾芭蕉がその芸術性を高めるたとされています。
なかでも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句(連歌の五七五の部分)を数多く詠んだことが俳句の源流とされています。
これをより個人の創作性を重視して俳句として成立させたのが正岡子規だそうです。
正岡子規は江戸末期の俳諧を月並み俳諧と批判し、
発句を俳句として自立させました。なかなか言う人なんですね。


正岡子規は写生を作句の根本に置き、自己の実感から生ずるものを見出そうとし、
それらの活動が俳句革新運動となっていきました。
正岡子規の死後は伝統的な季題や定型を守る立場と、
写生主義を徹底させ、自然観照(観照:主観を交えないで物事を冷静に観察し、意味を明らかにすること、また対象の美を直感的に感じ取ること)における個性的な実感を重んじる立場と勢力が二分していたそうです。
どの世界でもこのような考え方の相違による対立のようなものが生まれるんですね。
その後季題を用い、定型を重んじる保守的な俳句の形と、
季語無用論や主観的な叙情を重んじたり、俳句に人間探求の意識を込めるべきというような新興的な俳句の形が様々な生まれていったそうです。


俳句にもここまでくるのに様々な歴史があったのですね。
当たり前ですが、そこにはやはり人の思いがあるんだなと感じました。


俳句と言われると字余りと字足らずとか言って、
学生の時に授業で作った記憶があります。
実際に今も作ってみようとするとそれらしいのは誰でもできると
思うのですが、実際にはどんな約束があるのでしょうか。
俳句の特徴として、4つ挙げられるそうです。
・五七五の韻律で読まれる定型詩
・基本として季語をいれる
・一か所、必ず切れがある
・余韻を残す


俳句といえば季語という感じですが、
季語を絶対に入れなければいけないという派や
季語よりも、季感が大切だとする季感派(この季感は季節感ってことでもあるのですかね?)、無季でもいいとする無季派も存在し、様々な考え方があるそうです。


次に「切れ」ですが、
俳諧では、最初に読まれる発句は後に続ける句の動機となる必要があるとされ、
そのため発句には後の句に依存しない完結性が求められ、
それが切れになったようです。
現代の俳句で使われる切れ字には「かな、や、けり」があり、
俳句以前の連歌、俳諧の時代には「もなが」「し」「ぞ」「か」「よ」「せ」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「ず」「いかに」「じ」「け」「らん」なども使われました。

例えば、松尾芭蕉だと、

「秋深き 隣は何を する人ぞ」

なんていうのは、「ぞ」で切っていますね。
また松尾芭蕉は切れ字のあるなしではなく、
切れは句の内容の問題であるとも言っているそうです。

「菊の香や 奈良には古き 仏たち(松尾芭蕉)」
というのはそれにあたるような俳句でもあるのですかね。


話がまとまりませんでしたが、調べてみるだけでも
いろいろ知らないことばかりで、おもしろかったです。
俳句、ちょっと作ってみたくなりますね。





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