2011年12月2日金曜日

想像し、拾い上げ、大切にする

夢ってみんながそれなりに持っているものですよね。マイホームを建てたいとか、素敵な人と結婚したいとか、BMWに乗りたいとか。多くの人がそんな夢を持って日々生活している。


時間という軸で考えるとみんな(当然、僕も含めてです)が持っている「夢」って「未来」という所に位置するものがほとんどじゃないかなと思うんです。つまり、「将来こうなりたい」とか「いずれはこんな物を手に入れたい」とか。そんな未来のことを想像しながら努力したり、行動したり、楽しんだりすることが夢の意味だったり、夢を実現する方法だったりする気がします。


そんなことを考えた時に夢って「欲望のかたまり」だな〜なんてなことを考えちゃったんです。もちろん、それが悪いなんてことは思いません。人はそんな風に欲望をうまくコントロールすることで人生を楽しんだりできると思うので(なんだかさらっと言っちゃってますが、このあたの考えはまだ猛烈に薄いですよ 笑)それを否定している訳ではありません。



でも、その「欲望のかたまり」の先にある夢も大切なんですが、時間軸でいうところの「現在」という位置にある「夢」の存在をもう少し意識できると人ってもっと幸せになれるんじゃないかなと思うんです。



例えば、昔から車を運転することが夢だった人がいるとします。免許取りたての頃はそんな夢が叶って嬉しくて仕方がない。でも、だんだん日が経つにつれて、車を運転するということが日常になるとそれは、もはやあまり魅力を持たないものになってしまう。
夫婦関係だってそうなのかもしれません。実際、僕は結婚していないのでなんとも言えないのですが、結婚する前はお互いにこの人と結婚するのが「夢」なんてことを思い描いていた人が多いはずです。
そして夢の結婚をむかえる。幸せな日々が続きます。夢が叶うということは幸せなことのはずです。でも、それも日常化してくると幸せだと感じなくなる。


日常化する、習慣化する、慣れるということって人間の素晴らしい能力の一つだと思うんです。でも、もう少し、その日常にある「幸せ」というものを想像してみてもいいんじゃないのかなと自分自身を振り返って思えてきたんです。

結構、僕の周りにも「叶った夢」という幸せが転がっています。

その一つひとつをもう少し丁寧に拾い上げて大切にしてみようと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿