2015年8月30日日曜日

石灯篭

島根県の伝統工芸の一つに「出雲石灯篭」があります。
今年度の園のテーマが「伝統」ということで、
その石灯籠に興味が湧いてきたのですが、
そういえば、松江に向かう途中なんかに出雲を過ぎたあたりから
やたらと石灯篭が立っていたのを
「伝統」を意識するようになってから改めて気が付いたりしました。


まず石灯篭なのですが、もともとは日本の伝統的な照明器具になるそうです。
「灯篭」も「灯り」「籠(かご)」という文字ですが、
もともとは灯りが消えないように木製の木枠と紙などで囲いをしたものだそうです。
灯篭は仏教の伝来と同時期に日本にやってきます。
寺院建設が盛んな奈良時代に多く作られるようになり、
平安時代になると神社の献灯として用いられるようになります。
その後、室内で用いるものは行灯(あんどん)、
携帯できるものは提灯へと分化していきます。
行灯や提灯が灯篭から分かれていったのには驚きました。


また、安土・桃山時代になると茶ノ湯の文化が深まっていきます。
その深まりとともに石灯篭は庭園を演出する重要な物として用いられ始めました。
確かに日本庭園に石灯篭があるとぐっと庭が引き締まる感じがしますよね。
少し前に園でも自分たちで日本庭園を作ったのですが、
そこに小さな石灯篭を置くだけで庭全体が引き締まったような印象を持ちました。
そんな庭園に石灯篭を初めて用いたのはあの有名な千利休といわれています。
さずがですね。
庭を見ながらお茶を楽しむために
きっといろいろなアンテナを張り巡らせていたのでしょうね。


石灯篭には有名な産地というものがあり、
灯篭の産地はどこも昔から有名な採石場であるそうです。
そこで、出雲の石灯篭なのですが、
松江市宍道町来待地区では来待石というものが産出されます。
この来待石は1400万年前に形成された凝灰質砂岩で、
粒子がきめ細かく、色彩が苔青く自然と調和する色合いで、
耐久性にも優れているそうです。
そのような特徴がある石がとれるため、石灯篭に使われるようになり、
それが出雲石灯篭になっていったそうです。
江戸時代にはこの来待石は松江藩の御止石になり、
藩外に持ち出しが禁止されるほど
重要視されるようになります。
松江の城下町では至るところにこの来待石が使用されているそうです。


そして、出雲石灯篭は昭和51年に石工品として初めて伝統的工芸品として26種類の形が指定を受けることになります。
形も様々なあり、
それぞれの部位の呼び名も様々でなかなかおもしろいです。
同じ県でありながら、松江にも住んでいたのに、
今になってこの石灯篭のことを知るというのもまたおもしろいなと思います。


石灯篭もそうですが、
時代が変わるにつれてその用いられ方もだんだんと変化していったのですね。
その時代にあった変化ができたからこそ
今日まで伝統工芸として残ってこれたのかもしれません。
これは様々なことにもつながっていくのかもしれませんね。
その時代、時代に合った形に変化するということは大切ですね。





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