2012年3月19日月曜日

かがくのじかん

先日、年長さんにとっては最後の「かがくのじかん」を行いました。昨年の4月から月一回というペースで一年間取り組んできた、かがくのじかん(このかがくのじかんに関する思いはこちらへ科学 カガク かがく)。


磁石や紙コップ、水や油いろいろな物を使って表面張力だとか圧力だとか二酸化炭素どとかという科学に触れてきました。その中でも子どもたちがこの「かがくのじかん」を毎回、楽しみにしていてくれたこと、実験を通して不思議な現象を見た時の子どもたちの表情を思い出すとこちらも嬉しくなります。実験中、本当に多くの「なんで?」、「どうしてこうなるの?」、「あっ分かった!◯◯だからじゃない?」という声に出会いました。子どもたちの表情からはその不思議に目を奪われている様子や「どうしてそうなるの?」ということを考えようとしている感情が伝わってくるようでした。


その中でも、印象的なエピソードがいくつかあります。まず、一つはある女の子が園庭の炉で火を焚いている時に言った言葉です。杉の葉が燃えて、一部分が白く灰になったのを見て(白く灰になった部分が雪のように見えて不思議な姿になるんです)、「すごい!あっ!これってかがくになるんじゃない?」とつぶやいたのです。彼女の中では不思議なこと=科学という思いになったのかもしれませんが、科学は受け入れにくいなんだか難しいものではないんだよというメッセージを今後も彼女が感じてくれるといいなとその時に思いました。


他にもこんなことも。この「かがくのじかん」は僕が博士に変身して(白衣を着て、眼鏡をかけて)子どもたちの前に登場します。子どもたちは博士と僕は違う人物だと思ってくれています(よく、疑われますが笑)。ですが僕がイマイチなりきれていなかった時があり、実験後の片付けを博士ではなく、僕が行っていたのです。ややこしいですが、博士が帰った後に僕が登場して片付けを行っていたのです。僕としては全部自分で行っている意識なんですが、子どもたちからすると博士と僕は違う人物、なのになぜ、博士の実験の片付けを僕がやっているんだということになったんです。そうなると「博士はずるい」とか「自分で片付けしないといけないんだよ」という声が聞かれて、ある女の子なんかは「博士のことあまり好きじゃない」という子まで。

大人って子どものモデルなんですよね。そんな大人がこんなことではいけないなと博士になりきれていなかった自分、博士という人を尊重していなかった自分に気がついたんです。それからは博士になりきることを意識しています。

まだまだ手探りのこの取り組み、今後も続けていくつもりです。続けることで見えてくるものってたくさんあると思うんです。でも、ただ続けるだけじゃなくて、しっかり考えていきたいと思っています。まだまだ何も分かってはいないので。

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